生まれて初めて社員になった僕が職歴を振り返ってみる vol.003

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2ヵ月ぶりの続きです。前回エントリでは突如役員と云う立場を手に入れてしまった僕の、緩やかな成長と変化について書きました。そしてリーマンショックの打撃を受けた事をきっかけに苦境の扉を開く事となったフリだけで終わっていました。そうでしたそうでした、ああ想い出した。ここからは本当に転げまわるかのような流転の運命が数年続く事になるのです。さて僕達の会社はどうなってしまうのか。

 は?ナニソレ?と云う方は以下のエントリをドウゾ。

コンシューマ冬の時代到来

リーマンショクが報じられた2008年末から2009年初頭、世間ではまだその影響が表面化していませんでした。ゲーム業界は特に安穏とした空気が流れていたのを覚えています。

 理由は簡単でして、1案件、1プロジェクトの開発期間が比較的長い為、その瞬間はまだ仕掛かりの仕事が存在していただけです。つまり、半年前に契約して開発開始した案件は、まだ開発期間が1年も残っている、なんて事がザラにあったんですね。

 僕達が立たされた苦境は何だったかと云えば、丁度大きな開発が今正に始まろうとしていた矢先にリーマンショックが起こってしまったと云う、タイミングの悪さでした。もしも仕掛かりの仕事が継続していたら、既に契約締結し予算確保済の案件をわざわざ頓挫させる事の方がロスが大きくなるので、メーカーサイドとしてはとっとと完成させて市場投下してしまう選択をした可能性が高いのです。

 多くの企業が決算月としている3月が近かった事からも、その年の計画を年末時点で変更する可能性は低かったでしょう。

 しかし、僕達の案件は春開始、つまり4月から着手する予定のものばかりでした。仕込みとして期内に手を付けてプリプロダクション的な事はするつもりがありましたが、あくまで契約上の開発開始時期、対価の発生は4月からです。

 となると、そこから少なくとも半年以上続くプロジェクトを止める事が出来るならそら止めますよね。経営判断として至極当然です。

 大手メーカー各社が凄いなと思ったのは、翌期、翌翌期の計画を即座に変更し、発注先に頭を下げてでも身を守る体制に転じた事です。この事は本当に、後々まで感嘆する事になりました。

転身を余儀なくされた結果目の前にはSNSがあった

世間的には、いやゲーム業界的にはどこ吹く風のように見えたリーマンショックの影響をモロに受けてしまった僕達の会社は、まーまー焦りました。一番辛かったのは、苦しいと云う状況を他社の人々に認識してもらえなかった事です。

 そんな影響ないやろーw的な反応です。

 そらあんた達はそうやろけどな。もちろん我々もただただ、ポッカリ空いてしまった開発ラインを遊ばせておくワケにもいきませんから急いで営業して回るワケですが大した成果は出ません。

 その時点から営業すると云う事は、最速で考えても春の終わりから夏にかけて開発を開始するものがギリギリです。こりゃやべーぜ。年明けから半年、どうやって生き抜けばいいのか。

 そんな折、社長と僕はたまたまOGCなるカンファレンスを見つけます。

OGC 2009

【開催趣旨】
2008年、オンラインゲーム市場は、ブロードバンドコンテンツとして堅調な展開を見せる一方、動画共有サイト、SNSをはじめとするコミュニティサービスが更なる活況を示すなか、ゲームや動画だけでなく、ソーシャルブックマーク、地図、口コミ情報サイトなど実用的なサービスにもコミュニティ機能が実装され、さまざまなユーザー、さまざまなコンテンツの共通するプラットフォームとして、人々が集まる場を形成しています。
また、新たなユーザー層の拡大とサービスの充実の中で、革新的なテクノロジーを実装し新たなビジネスモデルの創造、挑戦が始まりつつあります。
OGC 2009では、このようなオンラインゲームとコミュニティサービスの新潮流をとらえ、最新動向と急成長する新鋭サービスを一望します。

 正直、業界に関わるようになってからずーっとコンシューマゲームソフトの開発にしか参加した事がなかったので、動画共有サイト、SNS、ソーシャルブックマーク、などと云われても全くピンと来ませんでした。

 しかし、どうせすぐにプロジェクトが決まるワケでもないのだから、こんな時にしかない余裕をあえて未踏分野の開拓に使ってみるのもいいかねー的な、超ふわふわ気分で参加する事にしました。

 今でこそ、SNSだとかソーシャルブックマークだとか動画共有サイトと云われれば大方の人々が理解を示すと思いますが、7年前の2009年初頭では、随分と状況が違います。どんな感じだったのか列挙してみましょうか。

  • mixiが招待制を廃止するのは2010年ですから、まだ招待されなくてはアカウントを作る事さえ出来ませんでした
  • facebookは2008年に日本語版が公開されたものの、MySpaceなどの先行SNSに遅れを取っていた時期で日本国内における知名度はまだ低い状態でした
  • ニコニコ動画は「ニコニコ動画(ββ)」の時期でプレミアム会員数が30万人に届くか?と云う段階でした(現在は300万人程度)
  • はてなブログは2011年リリースですからこの頃はまだはてなダイアリーで、うごメモはてなをリリースした直後くらいでした

 こんな感じだったんです。2005年から2007年くらいまで、僕はmixi廃人ユーザでしたがこの頃はちょっとマイミクが面倒になってきた頃です。そして何気なく眺めたカンファレンスの一つに「facebook」なる文字を見つけます。

C05 Facebook、iPhone、Android等、急拡大するゲーム・アプリ流通プラットフォームの最新状況、参入事例、参入ノウハウ

ブレークスルーパートナーズ株式会社
マネージングディレクター

赤羽雄二

Facebook、iPhone等、昨年来米国で急拡大しているゲーム・アプリ流通プラットフォームの最新状況と、参入事例、参入ノウハウについてお話します。日本では馴染みのないFacebookですが、アクティブユーザー1億5000万人を超え、世界各国で年間数十~数百%以上成長中です。MySpace等と合わせ、5億人への直接アクセスが可能になりつつあります。中小ゲーム開発会社にとっては、ブランド・実績等の参入障壁がなく、チャレンジングではあるもののやりがいのあるゲーム・アプリ流通プラットフォームが突然出現しました。しかも、ソーシャルゲームとしての革新が始まったところであり、ゲームの本格的技術・蓄積の多い日本の中小ゲーム開発会社にとっては起死回生となりうる重要な事業機会ですが、まだほとんど見向きもされていません。iPhone向けゲーム・アプリに関しては、日本でも相当数の個人・ソフトウェア開発会社が取り組んでいますが、継続的な事業とするにはいくつかの課題があります。これについて、取り組み事例と事業の進め方に対する大胆な仮説を提示します。Androidはこれからですが、現在40以上の携帯端末プロジェクトが動いており、今年7月には単月での販売台数がiPhoneを抜くのではないかという推測も出ており、今年前半までの参入準備が不可欠と思われます。それについてお話します。

対象:下請、孫請け、常駐等から脱却し、苦しいながらも自社開発に転換して世界を目指したい中小ゲーム開発会社の方。昨年来出現した非常にオープンなコンテンツプラットフォームの進展と意味合いに強い関心をお持ちの方

OGC 2009 -ブロードバンド推進協議会-

 この内容を読んでも、当時全然何のことを云っているのか理解できませんでした。ただ、ゲーム・アプリと云う単語にだけツられて覗いてみる事に。そこで、語られるfacebookの新規性や「ソーシャル・ゲーム」なるものの存在に、驚愕しました。

 コレしかないんちゃうん!?

 社長と僕は歳も同じで似たような趣味趣向を持っていたものですから、すっかり二人で盛り上がってしまいました。少なくとも、この分野に加担しない手はあり得ない、とさえ感じる程度には。

 ちなみに、僕達のターニングポイントとなるきっかけのカンファレンスで登壇されていたのは「赤羽雄二」さんと云う方です。賢明な方はお気づきかもしれません、あの赤羽さん*1です。彼のプレゼンテーションは多くの情報量を含んでいながら、刺激的で勇気を奮い立たせてくれるような、素晴らしい内容でした。

最初はfacebookのソーシャルアプリを研究した

とにかくfacebookのインパクトが強かったものですから、一日も早くfacebookの事を理解してコンテンツをリリースしたいと云う気持ちに憑りつかれます。もちろん、営業活動も平行しながらです。しかしまあ、そんなに早く大きな案件はきまりません。

 ちいさなwebのデザイン案件や、出向案件*2を細かく拾いながら、なんとか食い繋いでいました。

 そこで我々は、ソーシャルネットワークのソーシャルグラフを前提とした、ゲームコンテンツの在り様を知る事になります。突然、視界が5度くらいから360度に広がったかのような変化を感じました。

 僕は元々、ウルティマオンライン*3と云うMMORPGを数年間アクティヴでプレイしておりギルドマスターを務めた経験もありましたが、全く違う世界観、可能性、を感じたんですね。

 昨今は誰でも「ソシャゲ」なんて言葉を使いますが、この単語が本来もっていた意味は消失してます。基本はSNS上でプレイ可能なコミュニケーション促進をベースとしたゲームコンテンツ、の意味でした。つまり、SNSありきでブラウザさえあれば特定のソフトウェアを必要としない事が最大の特徴だったんです。

 この性質が当時とてもエキサイティングに見えました。

 つまり、そんなものがソレまで存在していなかったんです。そんな新規性のあるコンテンツがfacebookにはむっちゃくちゃ数多くリリースされていたんですね。もうむっちゃくちゃたくさんです。日本では誰もソーシャルゲームなんて言葉を使ってないのに。

Zyngaと云う会社

この頃はとにかくZyngaの時代でした。最初の起爆剤となったMafia Wars*4をきっかけに、Villシリーズを立ち上げ、FarmVille*5で大爆発します。とにかく、ソロプレイでは最大限の成果が出せないと云うモデルケースを整備し広く浸透させた功績は巨大です。今みるとなんとも演出の貧弱なものに見えるのですが、とにかく新しかったんですね。全社あげて、facebookのソーシャルゲームをプレイする日々が続きました。

 丁度僕達がZyngaを認識した頃、既に後続としてPlayFishなるメーカーも台頭しつつあり、コチラはFlashを使ってよりリッチな映像表現を使うコンテンツを得意としていました。この2強が、お互いのコンテンツをパクりあってシノギを削り合う、ヒリヒリするような緊張感とデッドヒート感に満ちていましたね。

 この時代の記憶は、後にも先にも類似例がありません。DeNAとGREEの攻防が生ぬるく感じる程です。一触即発、一発逆転、の可能性が毎日アップデイトされるような感覚です。後にこの2社は勢いを失います。PlayFishはEA傘下となりZyngaはスマートフォンへの移行に失敗し日本法人も解散するハメになります。

 ただ、2009~2010年はゲーム業界史上最も異質な時期であった事は間違いありません。

試作を続けながら企画持ち込み

とにかく生き続けなければなりません。でも仕事は全然ありません。そこで我々は雇用調整助成金を活用しました。ごくごく簡単に云うと、雇用は維持するけど給与が支払えないので出勤日をおさえて給与も合わせて減額する、助成金が出るので給与減額幅を出来るだけ抑える、みてーな事です。

 ですので、会社には全社員の1/3くらいしか居ない状況が続きます。もちろんながら、役員2人はずっと出勤しています。この期間にソーシャルゲームを観まくってプレイしまくって企画をたくさん作りました。そしてBONSAIを題材にしたソーシャルゲームの施策にも着手します。

 しかし残念ながらこのBONSAIゲームは完成には至りませんでした。BONSAIの理屈をかなり詳細にわたって再現しようとした意欲作ではあったのですが、如何せん技術力が足りていなかったのは否めない事実です。

 そうした施策をしながらも、カードバトルをベースにした企画などを作って大手メーカーさんに持ち込んだりします。当時はまだカードバトルブームの到来以前ですから、イマイチ受け入れられませんでした。しかし、根強く企画を修正し通い続けた事が功を奏したか、やっと1つのプロジェクトの打診を受けました。この間約1年です。殆ど息をしていない状態ながら、なんとか体制を縮小し生き続けていたおかげで、チャンスを手にする事が出来たワケです。嗚呼生きてて良かった。

 ちなみにこの頃役員報酬など出るはずもなく、先に書いた助成金も役員などは対象外ですから、だいたい5万円/月くらいの報酬でした。無い月もありました。それでも、苦境に至る迄に大した意識もなく残していたお金を地味に使いながら生活していたんですね。

時代は日本ソーシャルゲーム爆発前夜

某S社に持ち込んでいた企画はTCG然としたカードゲームでしたが、打診を受けたのはRPGでした。そしてプラットフォームはGREEです。当時GREEはまだプラットフォームをオープン化していませんでした。つまり、GREE内で運営されているコンテンツは総てGREE製だったんですね。かつ、ソーシャル要素が無いゲームばかりでした。

 先んじる事数カ月の差でDeNAがモバゲータウンをオープン化した直後、S社のある個性派プロデューサA氏はGREEのオープン化ローンチに新規IPを投下したいと考えていらっしゃいました。

 丁度facebook版を別の開発会社で作っていたのだそうですが、そのコンテンツはflashで作られており、希望通りの更新頻度を維持出来ない為、リリースを見送っている状況だったんですね。じゃ、同じIPを短期間で安く作ってオープン化しようとしているGREEで投下してみてはどうか、と。既にfacebook版向けに作られたデザインリソースは結構存在していましたから、なんとか組み立てが出来ればサービス開始が出来そうに見えたんです。

 我々はこのプロジェクトに飛びつきました。

 失うものがナニもない状況だったと云えばその通りなのですが、この先どうなるともわからないプラットフォームのオープン化はとにかくエキサイテイングだったのです。丁度モバゲータウンの「怪盗ロワイヤル」のヒットが目に見え始めた頃でもありました。

 世間が盛り上がっている様を横目で見ながら、これマフィアウォーズやん、あとエンドレスバトルの要素も組み込んでるな、なんて腹の中で思っていたものです。

 そしてこのタイトルに関わった事が、後の数年に渡るソーシャルゲーム開発の礎となります。

暗闇に向かってジャンプするに等しい開発

それまでコンシューマゲームの開発しかした事がない我々にとって、このタイトルの開発はとにかく初めての連続でした。仮にコンテンツ名は「N」とします。「N」の大筋は「怪盗ロワイヤル」をベースにして仕様をまとめました。総てをゼロから発明し練り上げる時間も予算もなかったので、とにかく形にする事を最優先したわけです。その上で、1つだけ独自性を盛り込もうと云うコンセプトでした。

 昨今のネイティブアプリゲームってどれくらいの開発費と期間が必要がご存知ですか。もちろの一概には云えないのですが、ざっと見積もって1億円を下回る開発費では勝負出来ない市場になっています。大手メーカーさんなら、数億かけて開発する事ももはや珍しくありません。開発期間を1年程度かける事も珍しくなくなりました。

 スマートフォンの性能が上がりリッチなビジュアル表現が可能となった今、コンシューマタイトルと同等の規模感に膨れ上がってしまったんですね。しかも、当たると売上規模が月商数億~ってな感じです。

 ですが当時、2010年初頭はまだまだガラケー全盛期です。基本的にブラウザゲームだったんですよね。webページを遷移して遊ぶコンテンツです。データはとにかく軽くする必要がありましたので音声はオミットされていました。演出も極力使用箇所を限定し、シンプルなFlashアニメーションで表現するにとどめられます。

 こんなのゲームって云っていいのか!?

 開発初期の感想はそんな感じでした。ただ開発を進めるにつれ、こう云った形式のコンテンツの奥深さに気づく事になります。

 今だから云えますが、開発費はトータルで1200万円程度でした。それも途中で追加開発費を積んだ状態で、です。当時でもコンシューマ開発ではあり得ない程安い案件です。しかし、我々は不退転の決意でこのプロジェクトに取り組みました。サーバの事など全然わかっていませんから、とある協力会社とタッグを組んで転げまわりながら時には大声で喧嘩しながら開発を進めていきました。開発期間は半年足らずでしたが、なんとかコンテンツは完成します。

 そして不安に満ちたサービスインです。

 サーバはなんとかダウンせずに動いてくれました。ホッとしたのもつかの間、そこからが本当の闘いであるとは、その時全く分かっていませんでした。

開発2割運営8割

今ではそんな云い方しないのかもしれませんが、当時はこんな言葉が度々聞こえていたものです。つまり、開発が終わりサービスインした時点では、プロジェクトの2割程度を消化したに過ぎない、と云う意味です。

 運営のウの字も知らない僕と、クライアントであるS社の担当プロデューサであるTさんは、毎日朝一番に打合せをする事にしました。前日のKPIを読み合わせしながら、当日の対応、施策の検討、をするんですね。やり方が分からないなら出来る事をまずはヤってみようと云う試みです。毎日変化するDAUやARPPUの意味をなんとか類推し理解しようと月金で毎日30分の打合せを続けました。

 この二人きりの毎日打合せは、それ以来僕の運営的数値感覚の土台となっていて、今でも大きくは変わっていません。とてもいい勉強をさせていただいたなーと感謝の気持ちでいっぱいです。

 サービスインした当月、翌月あたりはそれなりの売上をたたき出してくれた「N」は、それでも3ヵ月、4ヵ月と経つにつれ売上が下降し始めるワケです。さてどうしたものか、全然わからないんですね。なので出来る事は何かと必死に考えて試して、でも結果はたいして変わらず、みたいな日々を過ごします。

 そんな矢先、GREEで後のソーシャルゲームシーンを大きく変えるタイトルがリリースされます。

 ドラゴンコレクションです。

 このタイトルの出現をきっかけに、シーンは一気にロワイヤルタイプのコンテンツからカードバトル+ガチャ一色に塗り替えられました。今でも続くガチャビジネスの発端が正にこのコンテンツだったんですね。そしてTプロデューサの英断が下されます。

 「N」をカードバトルに作り替えよう。

 このまま売上が下降していくのをただ指を咥えて見ているよりは、思い切ってコンテンツの方向性を切り替えて最後のチャンスに賭けてみようと云う発想です。

 この決断が速かった事もあって、ドラゴンコレクションのリリースから3ヵ月にはカードバトル化した「N」をサービスインする事に成功します。そして新機能として当時はまだメジャーではなかったアリーナバトル機能も盛り込む事が出来ました。そしてこの転換により「N」は息を吹き返す事となったんですね。

 結果的には2年の運営を経てサービスを終了しました。この経験は本当に僕にとって勉強になりました。

ソーシャルゲームの企画・開発・運営

上記「N」の運営中、このタイトルの成功をきっかけに、次々とソーシャルゲームの開発案件が舞い込むようになってきます。とにかく前例や経験者が国内に少ない状況だったので、我々はほんの少しだけ早く動くコトが出来たんだなと実感しました。

 1度は企業としての死を覚悟したりもしましたが続けるコトが出来て本当に良かったなと思います。しかし、良いコトばかりではありません。市場はどんどん大きくなり、たった2年足らずの内に数十倍の市場規模に成長してしまいます。つまり、大手企業が、本気で投資し始めたんですね。突っ込む予算もデカけりゃ運営規模もデカい、しかし売り上がるとは限らない、そんな博打性の高いビジネスモデルになっていきます。

 我らの会社は勢いに乗るべく、次々と大きな案件に乗り出して行きました。有難いコトにお声がけ頂くコトが急増したんです。そして、より大きな絵を描きより大きな収益を目指して全力疾走しました。

 残念ながらその後は、「N」程の成功を達成するコトはありませんでした。思い切り振り抜いての結果ですから、出来るコトは思いつく限り実行しましたし、後悔はありませんでしたが。そして、微妙に残る負債が徐々に膨らみ始めます。

 この頃、サーバ運営のサポートにつながる仕組みをとある東京の企業に発注しておりまして、今後の受託開発をする上で武器として売り込み使っていこうと云う構想を社長は持っていました。予算は数1000万円規模です。コレが上手くいかなかったのが、今思えば綻びの最初だったのかもしれません。実質の武器を手に入れるコトなく、ただ発注した外注費だけが負債として残るような格好になったんですね。

遂に資金繰りが最悪に

負債を抱えたまま営業を続けますが、なかなか大きな収入につながるような案件は決まりません。ジリ貧ってこういうことかーなんて思いがよぎります。それでも手を動かしていなければ気持ちが死んでしまうような気がして、何かを作らずにはいられませんでした。

最後に

今回でこの連載を終わられるつもりだったのに、なんだか文字数がそれなりになってきたので一旦切ります。ってこれ、前回も書いた気がしますねw。会社の最後に向けての大メインクライマックスはまたいずれ。■■

会社の資金繰り 絶対やるべきこと、知っておくべきこと

会社の資金繰り 絶対やるべきこと、知っておくべきこと

  • 作者: 風張広美,平井敬士,窪木康雄,小高正之,土江誠一郎,森敏夫,浅井政晃,高田寛,岸健一,飯塚正裕,横田昭夫,中村泰宏,日比亮太郎,舟生俊博,糊智至,佐々木康二,南村博二,徳永貴則,エッサム
  • 出版社/メーカー: あさ出版
  • 発売日: 2016/06/17
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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*1:あの赤羽さん:「ゼロ秒思考 頭がよくなる世界一シンプルなトレーニング」の著者。僕も発売後直ぐに買いました、この本。

*2:出向案件:ゲーム業界における「出向」は厳密な意味で出向ではありません。雇用元と被雇用者の関係は全く変わる事なく、発注元の開発拠点で作業をする受託案件の事を指す場合が多いのです。つまり案件が終わったら普通に雇用元の拠点で働くんです。派遣や在籍出向の亜種と云えなくもないのですが、まあ変な慣習です。

*3:ウルティマオンライン:Ultima Online(通称UO)は多人数同時参加型オンラインロールプレイングゲームです。ネットワークRPGの始祖の一つで、ディアブロ(MORPG)、エバークエスト(MMORPG)、と並び称される事が多いですね。リネージュやラグナロクオンラインなどの有名MMORPGよりも歴史が古く、現存するMMORPGの殆どはUOのシステムがベースになっていると云える、と思います。

*4:Mafia Wars:後に日本でも大ヒットとなるDeNA社製「怪盗ロワイヤル」はMafiaWarsのアレンジタイトルだと思っています。もちろん各所が最適化されていますが、ゲームの根本的な構造は殆ど同じと云っていいと思います。

*5:FarmVille:ファーム系ソーシャルゲームの始祖。まだサービスを継続しているから驚きです。気になる方は覗いてみてください。FacebookのFarmVille | Facebook

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