2015年9月から、勤め人となりました。努めて勤めています。実はそこそこにいい歳の割に社員と云う身分を手に入れたのは初めての経験だったりします。
は?ワレ、ニートやったんけ?
違います。さて僕はどう云う職業遍歴の持ち主なのか?と云う導入でこのエントリは始まります。物凄く長文になる予感です。……ゴクリ
職歴的な話
最近転職した事もあって、自分の職歴つーのをまとめる機会があったんですね。
職務経歴書と云うヤツです。
そこに浮かび上がるのは、なんとも計画性のない「感覚派転職」の末路です。あ、いや、今の新しい職場にはとても満足しているので、計画性はないけど結果的にヴィクトリーロード、って事にしましょうそうします。
1.アルバイト期
僕はとある芸術系大学を受けた結果、奇跡的に現役で潜り込みまして、立体作品を創ったり音楽を演奏したりしながらアルバイトを始めます。
簡単に云うと受託専門の「大手ゲーム開発会社」です。大学で所属した軽音部の先輩が誘ってくれたのです。
「なーなー○○くんー、ゲーム好きって云ってたやんねー、ドット絵描くバイトあるけど、やる気あるー?紹介出来るよー」
僕はたまたま、高校生の頃に親のスネを噛み千切って安いパソコンを手に入れており、勝手にドット絵を描いたりちょっとしたテキストAVGなんかを創ったりしていたものですから、まぁ向いてるんじゃないかなーと思ったんですね。
最初はゲーム本編で使うドット絵と、企画書なんかで使うイラストの仕事を与えてもらっていたのですが(ほらよ、ポイ、的な感じ)リアルタイムのポリゴンモデルを造る仕事に充てる人員選抜があり、なんとか奇跡的にその役割に滑り込む事に成功します。
これもたまたまですが、自宅でドット絵を描くことに飽きていた僕は、20万円を借金して3DCGツールを購入し、自分のバンドのチラシだとかデモテープのジャケなんかを創る事を楽しみとしていた事もあって、まあ向いてるんじゃないかなーと思ったんですね。
自宅とは比べものにならない、超高価な機材やアプリケーションを自由に使わせてもらえた上に、お金まで貰えるわけです。
この世の天国?
ちなみに850円/時という対価でした。当時は時間外労働と云う概念が存在していない会社だったので、深夜に働こうがずっと850円/時ですw 気狂いの様に勉強してモデリングしまくりました。
猿ですね。
そうしている内に、雇用形態の変更が直属の上司にあたる社員様から提案されます。それは、個人外注契約です。
2.個人外注期
会社の取り決めに寄るので一概には云えないのですが、アルバイトの場合は基本的に雇い主が雇用した従業員扱いなので、保険の適用が可能なんですね。あと、労基法に守られた労働者の権利なんてのも、辛うじて存在しています。
一方、個人外注てのは従業員ではありません。雇用者は発注元となり、案件単位で仕事を発注して僕は受注するわけです。つまり、時間給ではなくなります。
云い替えると、早くやっても遅くやっても同じ金額が貰えるわけですね。しかも、従業員ではありませんから、納期内にキチンと納品出来るなら、更に別の仕事を受注したっていい訳です。
ん?この世の天国2?
そして個人事業主と云う存在にクラスチェンジすます。新規アビリティは、毎月請求と確定申告です。なんか大人感でまくりです!
注文書の品目は良く読もう
よーしお父さんがんばっちゃうぞー、と結婚した事も子供を持った事もない僕はテンション爆アガリです。そして、モデリングやらドット絵制作やらレイアウト切りやら、ガツガツ仕事をこなしていきました。
あれ?他の仕事なんかやる暇なくない?
大手ゲーム開発会社からはプロジェクトの最初に注文書をいただきます。この注文書にある品目は「『○○○タイトル』デザイン作業」、数量は「一式」、金額は開発期間×1ヵ月分に相当する額面(¥250,000-)です。8ヵ月のプロジェクトだったら、¥2,000,000-ですね。
……。
これって、物量が明確じゃないし何時間仕事しても終わらなくね?
大人の世界は怖いですね。こんな事を説明してくれるワケでもありませんから、契約時点でその事に気付けるはずもなく、ただただ「他の仕事やってもいいんだよー」と云う事実だけが告げられ、あたかもこの世の天国で君は今後ウハウハだよ的な空気だけを漂わせてくるわけです!
今なら、期間拘束じゃなく成果物ベースで注文いただけませんか?とは云えますけど、当時はまだツルッツルの脳味噌ですからそんな事出来ません。
かくして僕は、保険や源泉徴収や年金が差し引かれない剥き出しの¥250,000-/月、と云う報酬でプロジェクトの最後まで働き続けたのでした。でもまあ、アルバイトのままで居たらもっと対価は少なかったと思うのでこれはこれでいいかなーと云う気分になったのも事実です。そんな状態でしばらくゲーム開発の仕事を続けていたところ、ムービーを造る仕事に充てる人員選抜があり、なんとか奇跡的にその役割に滑り込む事に成功します。
時代は3DCGを求めていた
PlayStatioonが発売されてしばらく経った頃でしたね。FF7辺りで一旦のピークを迎え、とにかくゲームってのは3DCGが不可欠なのだ!という時代。本当は不可欠でもなく、なんだったら要らないんですけどねw。
でも当時の空気と云うやつは、3DCGムービーが無いゲームなんて時代遅れ、みたいな感じが蔓延していたのです。
ゲーム本編のリアルタイム・ポリゴンを扱う事にやや飽きて来ていたのと、映画が大好きで演出やカメラワークなどにも興味を持っていたものですから、結構向いてるんじゃないかな〜と思ったんですよね。
結果的にムービーの仕事は、これまでで最高にエキサイティングでした。
それまでは描画コストを気にしながらポリゴン数を調整したり実機上での細かな変更をチクチクと繰り返してクオリティを上げていくイメージでしたが、ムービー制作においてはポリゴン数など気にする必要が一切ありません。
ポリゴン数など気にする必要が一切ないんです。
最終出力されるムービーデータの圧縮率と尺の長さだけが容量を決定する要素なので、映像そのものをどう作ってもイイわけです。ただし期間内であれば、だがな……。
3DCGムービーの制作
僕がゲーム開発時に作った、出来がたまたま上手くいったキャラクタ・モデリングのデータが評価されて、ムービー・チームに配属直後にして、とあるタイトルにおける敵勢力のラスボスと巨大召喚獣のバトルシーンを担当させて貰える事になりました。
こんな待遇に落ち着いていられるでしょうかいや無理です不可能です。僕は脳内が完全にお花畑状態になってしまい、またもや時間を無視して働きまくってしまったのです。
おかげで、完成したムービーもクライアントの意向に沿うことが出来たようです。有難い事に、僕が作ったキャラクタのレンダリング・イメージがディスクの表面にプリントされる、ピクチャディスクなるモノも発売されました。
この世の天国3 EX!
この時ばかりは本当に嬉しくて嬉しくて、このチャンスをくれた会社に超感謝したものです。
そろそろ転機だなと云う予感
それから数本のムービー制作に関わった後、自分の人生の予定が少し遅れていた事を思い出します。ムービー制作に寄り道した事で、大手開発会社を離脱する時期が後ろ倒しになっていたんですね。
人間関係は良好でしたし、担当させて貰える仕事の質にも不満は全くなかったのですが、上司にあたる社員さんに辞意を告げました。同じ環境でこのまま緩やかな上下動を続ける事に焦燥感のような物を感じていた僕は、辞めるしかないなーと感じていたのです。
そして、ココからは本当に自分で仕事を探し交渉し契約し制作し納品する、ガチ・フリーランス時代に突入します。
3.フリーランス期
この曖昧模糊としつつもなんだかヤリ手感溢れる響きは、なんなんでしょう。
フリーランス(英: freelance)は、特定の企業や団体、組織に専従しておらず、自らの才覚や技能を提供することにより社会的に独立した個人事業主もしくは個人企業法人である。略してフリーと呼ばれる。企業から請け負った業務を実際に遂行する本人をフリーランサーと呼ぶ。日本語では自由契約(ただし、プロスポーツでの選手契約を更新しないことを指す「自由契約」が有名なため、フリーランスを指して自由契約と呼ぶことはほとんどない)。一般的な職業分類では個人事業主や自由業に該当する。
こう聴くとなんかマトモ風ですけどね。云い方ひとつで無職人もフリーランスと同義ですから、質の幅はほぼ無限ですな。
さて僕はどんなフリーランサーになったのか。
まずは、旧職場で付き合いのあった同僚を頼って、小さい規模で発注可能な案件を探しました。どれくらいの熱量で探したかと云うと、3日くらいは本気でしたが、それ以降は一度も営業活動はしない感じです。
瞬殺でダメ人間転落。
でもそりゃそうだっつー話なんですよ、まあ聴いてください。それまで開発ばかり猿のようにヤって来た僕が、突然営業なんか出来るはずもない上に、じゃあ今から自分の頭で考えて営業ってヤツを一丁ヤってみっか!と思い立ったところで、3日も唸った時点でヤル事が無くなるわけです。
当時は実家住まいでしたが、流石に無職のままでは家にお金を入れる事も出来ないので、ほんのり焦ります。あそうそう、この頃には大学を辞めてしまっていました。この件についてはまた別の機会に語りますので、今は端折りますね。
ともかく僕は、一応ながらも社会人だったと云う事です。
助けてくれたのはやはり友
会社の勤め人である友人達は、僕に対して仕事を発注したい気持ちにはなってくれたのですが、如何せん彼等の年齢が裁量獲得するには低すぎました。
そんな僕に声をかけてくれたのは、僕が旧職場を去る少し前に辞めていった同僚の1人でした。彼は僕と同じデザイナでしたが、どちらかと云えば営業マンの発想に近い男でした。
ナニをすれば良いのか全く判らない状態の僕に、仕事の話を投げ入れてくれるじゃありませんか!
え?君腹立ついや貴方様は神なの?
なんでも、フリーランサーになった直後に受注した案件を回す為に、とある貸しビルの一室に開発拠点を構え、同じくフリーランスのプログラマや企画マンを集めてチームを作ったんだそうです。ただ、どうしてもデザイナだけは充分な人数を揃える事が出来ず、いくらかの作業が宙に浮いてしまい困っていたのだ、と。
こうして僕はたまたま電話で話した旧同僚からフリーランス初の仕事をゲットしたのでした。やたっ!
実家で仕事は出来るのか否か
無理でしたーー!全っ然無理でしたーー!!!仕事場と云う物が何故存在しているのか、この時僕は知ったのです。自宅で仕事をするにあたって克服しなければならないハードルは全部で3つです。
- 仕事の邪魔になる誘惑要素を排除出来るか
- 仕事を開始する時刻と終了する時刻を守れるか
- 家族が仕事のペースに理解を示してくれるか
僕が克服出来たのは、「3.」だけでした。つまり、自分の意志が無関係な部分だけ……でした!!!意志薄弱過ぎて自分がより愛おしくなったのは云うまでもありません。「1.」「2.」を排除出来なかった結果どうなったかと云うと、生活のリズムが無茶苦茶になり不健康になりました。まあ、概ね想像はついていたので、やっぱりなーと云う感じでしたね。
毎日朝の8時まで深夜仕事をして、そこから夕方5時くらいまで寝ます。起きてからシャワーを浴びご飯を食べて気がつくともう夜の8時、さーぼちぼちやるかなー、と仕事に向かうも最低1時間はネットで遊びます。9時にやっと仕事を始めますが、2時間後にはテレホタイムが始まる為、またネットで1時間遊びます。深夜12時を超えるとやっと本意気のやる気がムクリと膨らんで来て、そこからは超集中状態で走り抜けます。気がつけばまた朝の8時。
こんな働き方あかんよ!
まあ、そんな生活が1年くらい続いたんですけどね。意外と続けられるもんだねー。ビックリするよねー。ある意味規則正しいと云えそうですな、それはマヤカシです。このタイムテーブルは誰からも文句を云われないので、自由に改変され続けるのですから。
事務所を作ると云う誘い
さて、そんなスタイルのダメダメ・フリーランサーは、2年目にして、事務所を持つ事になります。と云っても自分1人だけの事務所ではなく、同じフリーランサーで寄って運営する共同事務所です。僕に仕事を紹介してくれていた営業肌の元デザイナーと、彼のルームメイトであるゲーム企画マンと、僕とで、3人の共同事務所です。
家賃は折半、専用電話を引いて電話料金も折半、レーザープリンターは折半で購入し、その他雑多な備品はそれぞれ自腹、と云うルールです。
普通の3Kマンションを借りました。家賃は共益費など込み込みで10万円ですから、1人33,000円/月です。備品を含めても、5万円/月もあれば1人分はまかなえます。まだ実家住まいでしたから、家にも10万円くらい入れたとしても、15万円/月の生活費でなんとかなります。
イケそうじゃね?
細かい事を心配しても道は開けない!と、無根拠で無自覚な自信を元手に、僕は誘いにノって事務所を借りる事にしました。
時間感覚は変わったのか
これで、今までの自堕落な生活から抜け出してまっとうに働けるかも?!
はい、無っ理ー!!
場所が変わって、電車通勤という名の自由時間が増えただけでした……。電車通勤中は、昨今のようなスマートフォンなどない時代でしたから、主に読書時間にあてられました。
ハヤカワ文庫を吐くほど読んだった。
これはこれで充実した時間でしたし、後の人生に大きく役立ちましたから良しなんですが、生活時間はただれたままです。事務所は普通のマンションですから、畳部屋なんですね。押し入れもあるんですね。あまつさえ風呂まであるんですね。
多くを語る必要はありますまい。仕事場に居ると云うだけで仕事をしている気分になる錯覚も大いに手伝って、まーとにかくダラダラしていました。
もちろん納品だけは守らないとお金を貰えませんから死守するのですが、納期直前以外はズルズルでした。ほんまあかんと思うわ、反省反省。
仕事はなんでもやった
デジタルデータを扱うデザイン業務はなんでもヤりました。基本的に断らないスタイルです。知らない技術が必要な案件も即答で請けました。何故なら、いつ仕事が回ってこなくなるか判らないからです。
でも知らない技術の案件なんか請けたら外注費かかって儲からないんじゃ?と思われましたか思いましたね。その通りです。ただでさえ安い対価で請けているのに外注なんか出来ません。ではどうするか。
納期までにその技術を会得出来たとしたら?
若さは、そんな妄想を現実にしてやろうぜ!みてーなテンションをいともた易く捏造出来てしまうのです。請けてから覚える!と云うスタイルの誕生です。
良い子は絶対真似しちゃダメ!
体力的にも精神的にも、死ぬかと思った。ただ奇跡的に、一度も納期遅れを起こす事なく数年を乗り切りました。するとどうなるか。
最初に5回くらい瀕死状態を耐えると、不思議と物事のコツ?と云うか仕組み?と云うヤツが身につくものでして、人間必死になって達成しようとすると賢くなるのかもなーなんて思いましたね。
ただし5回の瀕死状態の最中は、何故こんな馬鹿な事を思いついてしまったのかと、自分を呪殺したい気分でしたが。
副産物として、htmlとcss、uiとux、イメージファイルのフォーマット構造、プロジェクト・マネジメントとアジャイル開発、など色々の知識もオマケで付いてきました。この時は完全に持ち腐れアイテムだったのですが。
法人化を望む声
瀕死状態を乗り越えスーパーサイヤ人みたいな存在になった(気分)の僕は、主にデザイン案件を受注していたわけですが、僕をフリーランサーに誘ってくれたもう1人のスーパーサイヤ人(彼は恐らくこの時点で3……)はデザイン業務半分、営業半分、と云った配分でした。
つまり、彼が仕事を取ってきて、僕がメインで製作し彼も手伝う、的な。もう1人の事務所メイトだった企画マンは、主にクライアント様の会社に常駐してディレクション業務を担当する事が多かったので、実は殆ど事務所には居ませんでした。
それでも家賃は三等分だったのですから、僕は得した気分でしたが。
そんなスタイルで数年も仕事をしていたら、自ずとお得意様クライアントなる存在が出来たり、案件規模もまあまあ大きくなってきたりするんですね。
この当時は毎月のギャラが大体平均すると45万円/月くらいだったでしょうか。ただし無い月は0円ですかは、あくまで平均です。上下動の激しい経済状態でした。
流石に作業量も多くなって来ましたから、アルバイト・従業員も3人程増やし、なんとなくのチームを作って仕事をしていました。
そんな中、とあるお得意様クライアントから提案が出ます。
そろそろ法人化したら?
案件規模が大きくなって来たので、発注額も膨らんで来た、法人化してもらわないと大きな発注がやりにくいんだよねー的なアレです。
僕は法人化に全く興味がなかったのですが、営業肌の彼はアッサリそれを受け入れます。法人化するしこの事務所も引き払うつもりだけど、手伝ってくんない?と云ってもらえたものですから、僕もあ、イイっすよくらいの感じで快諾します。
その2週間後には会社が出来ました。
えっこんなに簡単に会社って作れるの?
当時はまだ有限会社が設立可能でした。資本金300万円の会社はこうしてスルリと出来上がりました。そして、それまでズルズルのフリーランサーだった僕は突如、会社役員と云うとんでもなく偉そうな役職にジョブチェンジしたわけです!
つづく■■
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