便乗しようというワケではないのですが、はてなの人気者ヒトデさんが、暫くテーマとしておられる「離職」に関してエントリを投下されていらっしゃいました。
「最近の若い者はよ~、」と切って捨てるのは簡単なのです。
しかし一回り以上歳が離れた彼の考えている事は、おっさんの僕にとって色々の面白い要素が散見されたんですね。
今更ながら仕事とは?という事を考えてみる気になったものですから、駄文を投下してみようと思います。
ヒトデさんの主張
とても正直に仕事を辞められない理由について書いておられます。
嘘キャラクタを作っておられる事はないように感じますので、感じておられる事を素直に表現されているんじゃないでしょうか。
目次だけを引用してみます。
仕事を辞められない(辞めにくい)理由
1.特にスキルを持っていない
2.周りの視線
3.会社に!!言いにくい!!!
4.将来への不安
5.将来の展望が無い
辞めたい理由
今の仕事(自動車)に興味が無い
電気電子に興味が無い
やりたい事をやる時間が無い
働きたくない
他にもダラダラと考えた事
「会社を辞める」リスクと「会社を辞めないリスク」
今の自分は、その権利を手にしている状態では?
誰もが羨む生活は、果たして自分の「幸せ」か
まとめ:結局本心はどうなのか 関連記事
おっさんに着火するには充分な言葉力があるなーと思います。
ご本人は知ってか知らずか判りませんが、社会人経験が20年以上あるようなおっさんの中にはこのタイトル群を眺めるだけで、赤顔で怒るような人もいるかもしれません。
流石にブログの作りが煽情的で上手いなーと思いました。
あ、余談ですね。
ヒトデさんの考えていることは、自分に全くなかった発想なので大変興味深く拝読しました。
では僕なりの意見を書いてみようと思います。
リスクに対する考察がやや偏ってるかも
リスク、なんて言葉が一般化したせいで本来の意味はもはやどうでもイイ存在になりつつあると感じますが、単なるマイナス面の不確実性のみを取り沙汰している事が、問題の焦点をやや曖昧にしているかもなーと感じました。
つまり、リスクにはプラス面の影響(→ベネフィット)もある事が、客観的に比較されていないのでは?という偉そうな疑問です。
おっさんになるとすぐに偉そうになっていけませんね。
企業に「雇用され続けるリスク」と「離職するリスク」を引き合いにされていますよね。
仮にマイナス面のみを取り出すルールだとして、企業に纏わるリスクは色々と思考されているように感じます。
被雇用者であり続けるリスク
主に個人の欲求が満たされない事に集約されている、んでしょうかねえ。
ブログを書く時間がない、旅行も行きたい、アレもコレもやりたいけど労働時間がそれを阻害している、といった風に。
人間、誰しも思い描く「こうありたい」と想像する生活でしょうか。
この場合優先されるべき条件は「個人的欲求の充足」であり、阻害因子はリスクとしてカウントされているワケですね。
うんうん。
わかるわかる。
離職するリスク
このリスクは個人の感覚から乖離した「世間体」や「他者との関わり」に見えるんですがその実、やはり個人の欲求が満たされない事に集約されているのかな、と感じました。
つまり、人(例えば上司)から「期待はずれだった」と諦められる事によって自尊心が傷つけられ、不快な思いをする事。
または、有名企業の一員である事を放棄する事によって「なんて馬鹿な事をしたんだ」と近親者(例えば親とか恋人)から失望される事によって自尊心が、とか。
この場合優先されるべき条件はやはり「個人的欲求の充足」なのかなー。
または「承認欲求の充足」ですかね。
お。なんかしっくり来ました。
承認欲求阻害の因子もまた、リスクとしてカウントされているんでしょうね。
ご本人は、生活水準が減退し生活環境が困窮する事は特に想定されていないので、物事をシンプルにする為に、この際一旦無視していいと思います。
リスクマネジメントするとしたら、こうかも
さて。
リスクはその存在を明らかにしただけではあまり意味がありませんよね。
リスクを認識し評価した上で、リスクマネジメントによりベネフィットとリスクのバランスをコントロール出来ると、初めてリスクを認識した意味が発生する、のかなーと思うんですよねー。
リスクとベネフィットの合算が、ゼロ以上になれば一先ずのオトシドコロと考えていいような気がしませんか。
まずはゼロに着地したとしても「状況は変化したワケなので、前回の行動よりも更に効果のある打開策が見える可能性はあるんじゃない?」と期待を持てるような気がします、よね。
僕は物事を俯瞰で見たうえで、段階的に状況をコントロールするのはとても効率的だなーと感じている人類なものですから、リスクマネジメントが性分に合っているのかもしれません。
で。
被雇用者であり続けるリスク、離職するリスク、のそれぞれに対応するベネフィットを考えてみたらどうかなーと思うんですね。
まヒトデさんもそのように書かれているのですが改めて。
被雇用者であり続けるベネフィット
安定感抜群、と表現されていますね。
ある意味そうですが幸せな想像が前提にあるかもなーとも感じます(大企業はそう簡単に潰れないって事とか)。
まそれはそれでいいとして、この場合のベネフィットは生活する上で困窮しないという意味合いの「安定感」と、大手企業に勤めているという意味合いでの身近な人に対する「イメージの安定感」、両方でしょうかね。
コレはなかなか強力。
これは優先されるべき「個人的欲求の充足」に大いに合致します。
離職するベネフィット
自己中心的に生きたい、と表現されていますよね。
離職する事で自由な時間は、ブログ収入が続く限り無限大、でしょうか。
30年後40年後の企業の在り様に保証などないというリスクには目が向いておられたのですが、ブログ収入が著しく低下するリスクにあまりフォーカスされていないのはちょっと気になります。
が、まそれはいいとして。
いずれにせよ、自分が楽しいと思える事に割ける時間は被雇用状態に比べれば格段に増加するワケですから、それは大いに「個人的欲求の充足」を達成してくれるような気がします。
かなり魅力的。
比較してみる
それぞれの条件を並べてみますよ。
出来るだけシンプルに最優先される事だけを比較してみたいなーと思うので、かなりそぎ落とします。
独断&思い込み、でね。
被雇用者であり続ける場合
- リスク
自由時間が少ない→個人的欲求が満たされない - ベネフィット
収入(生活)と周囲への承認欲求が満たされる
離職する場合
- リスク
自尊心が傷つく→承認欲求が満たされない - ベネフィット
自由な時間が手に入る→個人的欲求が満たされる
単純に裏返しになるだけじゃんw、と思われるかもしれませんが、微妙にそうじゃないんですよね。
つまり、離職する場合に「収入に関するリスク」が列挙されない。
ヒトデさんも書かれていますが、しばらくは生活する分には全然困らない状況だそうですから(超裏山椎茸)、離職する場合のベネフィットに比べて、被雇用者であり続ける場合のベネフィットは、幾分カルいといえそうです。
客観的な状況の比較でいうなら選択すべき答えが自明、と感じるのです。
がこれは明らかに僕が他人だから、でしょう。
ご本人にとっては「んなこたーわかってる」うえで、悩んでおられるんだろうなーと思うワケです。
悩むと考えるは違う行為
僕はそう思っているんですね。
単純に定義するならこうです。
自分がそうだった、というだけのひ弱なソースですが……。
悩む
- あれこれと思考を巡らせるが立ち止まっている
- 状況を変える事や解決策を求める事の優先順位が2番目以降
考える
- あれこれと思考を巡らせて少しずつ前に進んでいる
- 状況を変える事や解決策を求める事が最優先
ヒトデさんは、今正に悩んでおられるのかなーと。
状況を変えたくて変えたくて仕方がない、という程には会社を辞めたいと思っているワケではないのかなーと。
どちらの選択をしてもあまり変化しない事は無視していいかも
自分にスキルがない事や将来への展望がない事を、辞められない・辞めにくい理由に挙げられていますが、これはまあ問題の根本ではないんだろうなーと感じました。
何故なら、「どうしても自由な生活を手に入れたいから問題となっている障害を克服してやるぞー」的な意思は感じられないからです。
つまり、まあどっちゃでもいい(便利な理由が見つかった)のかなーと。
悩んでいる時というヤツは、答えを見つけられない悶々とした時間を過ごすのが苦痛で、色々を考えてナニか答えに到達する材料を見つけようと足掻くものなんじゃないでしょうかね、人ってのは。
そして、中心的な問題や理由ではない要素で思考を肥大化させていくというアルアル。
そういった状況なんじゃないかなーと思ったんですよね。
今の仕事の内容に興味がない、といった理由も、それが嫌で嫌でどうしようもないよ!という程ではないレベルのようですので、辞めたい理由としてのラベルを貼らなくても、特に影響しないんじゃないかなー、なんて思うんですよ。
とにかく。
材料を増やす事で比較検討する事の精度を引き上げようという意図は理解出来るものの、必要ないものまで拾っちゃうと見えていたものがぼんやりしちゃうかもしれないよ、と思ったのでした。
要点は2つかも
僕のようなおっさんから見える、問題は2点に絞られるように感じたんですね。
01.辞めたい理由の納得度が足りていないかも
辞める理由、辞めても多くの人が納得してくれそうな理由、は数多く思いつくし簡単に列挙出来る。
でも結局それらの理由に、ご自身が一番納得出来ていないんじゃないかなーと感じたんですね。
「本当に自分はコレが理由で辞めたいのか」
ハッキリしているといえばハッキリしているのに、それを理由に行動してしまった後で、後悔するんじゃないかと考えてしまう。
誰にでもありますよね、そういう気持ち。
違ういい方をすると70%くらいは納得してる。踏ん切りつけてもおかしくない程度には納得してるんだけど、気持ち的には100%納得して行動したい。
残り30%は一般論や常識、世間体など、状況次第で「正解」が変わるような部分だからキッチリ納得するのは難しい。
そういう事なんじゃないかなーと思った次第です。
02.自分の既成概念が捨てきれないかも
まーね。
なんか言葉にすると刺々しいのでヤですね。
ま、つまりですね。
「仕事ってのは楽しいものじゃない」とか「糧を得る為にするのが仕事」といった、ご自身が就職活動をしていた時に感じてた概念に、結局は囚われてしまっているんじゃないかなーと思ったんですよね。
好きでもない仕事でこのまま何十年も生き続けるのかという疑問は、もしかしたらブログによる人生の転換を迎えなかったら、そもそも感じる事すらなかったかもしれない。
でも状況は変わり、かつて自分が信じて疑わなかった「仕事」に対する考え方が音を立てて崩れ、新たな可能性や生き方に目が向くようになった。
これってなかなか体験出来る事ではありませんし、とても貴重な経験だと思うんですよね。
ただ同時に「疑いもしなかった概念を失う事に対する恐怖もまた手にする事となった」のだとしたら。
そんなの、怖いに決まっています。
人によっては、一生起こりえない可能性さえあるかもしれません。
信じていた事・物を捨て去る。
大袈裟ないい方ですが、ヒトデさんの抱えておられる問題の本質は、そういう事なのかもしれないなーと思った次第です。
で、どうすんだよ
さてさて。
あえて言うなら、好きな事して好きなように生きたい。我儘でしょうか
答えは既に見つけておられるんですよね。
あとは2つの課題を、どうにか決着つけるだけ、だと思うんですよ。
その決着がつかない内は、仕事を辞めてもスッキリしないかもしれなくて、もやもやが残っちゃうかもしれないなーなんて思うのです。
僕は、好きな事して好きなように生きたい、という願望はアリだと思います。
その「好きな事」の中に他人を傷つけたり苦しめたりする事が含まれていたとしても、「好きな事」なんだったら、もうコレはしょうがない。
出来れば違法にならない程度の範囲で収まれば御の字、じゃないかなー。
楽できなくても楽しんで生きたい、と宣言されているワケなので、随分と可能性があるように思いますね。
「何もしたくない」のではないのでしょうから。
あと、「ブログで一生食っていくぜ」なんて気持ちがない事も、全然気にしなくていいんじゃないかなーと思います。
相変わらずソースは僕ですが、10年経てば世界も変わるしやりたい事だって増えるし変わります。
30年前に「小説家になって死ぬまで本を沢山出版したい!」と決意した人が、ブログやネット上のメディアに新たな可能性を感じる事だって、いくらでもあったんじゃないかなーと思いますし。
結論として僕がいいたいのは、先の事考えまくってもどうせ世界が変わっちゃうから、今の気持ちを信じていいと思うよ、って事ですね。
最後に
いいたい事が全部書けた気もしてないのです。
が、まーまーの文章量を書いちゃったのでこの辺で。
いいよね、若いって事は無条件に。
ああ、あと20代独身で実行する場合のリスクと、30代以降で実行する場合のリスクを比較してみると、背中を押す材料になる「かも」。■■
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