「ドクター・ストレンジ」を見た感想は『完成形じゃね?』だった

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マーヴェル映画もすっかりヒット作の常連さんになって久しいですね。

昔はゆーても暗中模索な期間もあったもので、デアデビルとかファンタスティック4とかまるで無かったかなような存在の作品もチラホラありました。

しかしそうした試行錯誤や大スベリの経験があってこそのアイアンマンでありアヴェンジャーズだと思います。

不屈の精神が、ケヴィン・ファイギを突き動かしたからこそ、今日のマーヴェル・スタジオがあるんでしょうな。

で、遂にというかとうとうというか、待望のバランスブレイカー登場です。

マーヴェル・ユニバースの中では、ソーみたいな神なる存在が登場する事もあれば、ただ単に超人的な普通の人間であるホークアイのような存在も同居している、実にリアリティラインが不安定な世界でした。

いや今もそうです。

その事自体は何もマイナス面ばかりではないのですが、ただ中々面倒な存在も居たりするわけでして、その有名な一例が本作の主人公、ドクター・ストレンジといえるでしょう。

例によってネタバレを厭わず自由に書きますので、ご覧になるご予定のある方は自己責任で読むか否かを御判断されますように。

基本情報

『ドクター・ストレンジ』(Doctor Strange)は、マーベル・スタジオ製作、ウォルト・ディズニー・スタジオ・モーション・ピクチャーズ配給による2016年公開のアメリカ合衆国のスーパーヒーロー映画である。日本では、2017年1月27日に公開された。
「マーベル・コミック」のアメリカン・コミックヒーローである『ドクター・ストレンジ』の実写映画化作品である。また、様々な「マーベル・コミック」の実写映画を、同一の世界観のクロスオーバー作品として扱う『マーベル・シネマティック・ユニバース』シリーズとしては第14作品目の映画となる。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

感想

いゃ〜、やってくれましたねー。

またもやマーヴェル・シネマティック・ユニバースに超魅力的なキャラクタが爆誕してしまいました。

そもそもカンバーバッチ氏が演じるというニュースを聴いた時からその予感はあったんです。

まずはそのキャスティングだけで無条件に50点/100点は獲得してるようなものでしょう。

残りの50点がシナリオやら演出、映像で加点して行く部分になるわけですが、コレらが実に良いバランスで配合されていた上に、映像面においては、ある種の到達点とさえいえる程のスーパー完成度でした。

この映像を大画面で観る為だけに劇場に足を運んでも良い位です。

もう、何処から何処までが嘘なのか解らない、いやもうこの際無粋な種明かしナドどうでも良くなってしまう、そんな映像体験でした。

物語は立ち上げが一番楽しいのである

これはもうどうしたって、そうなっちゃうものです。

特に、後々シリーズ化が確定している作品などは、1作目の役割がある程度決まっていますよね。

つまり、主人公のキャラクタ性の掘り下げです。

どんな善悪観を持っているのか。

どんなこだわりを持っているのか。

どんな人生をこれまでおくって来た?

何を愛して生きて来た?

何を誇りに感じて何を蔑んでいる?愛する人は居る?

愛する物は?

真面目?

不真面目?

ネガ?

ポジ?

そんな疑問にどんどんボールを投げ返す事が1作目の大きな役割でしょう。

アイアンマンもマイティソーもキャプテンアメリカもあれもこれも総て、物語が立ち上がって行く様のなんとエキサイティングな事か。

人生においても同様でして、安定した状態はそれはそれで価値があるものの、そうなる前の上り詰める為に苦悶し格闘している時こそが、実は一番生きている実感を得られるなんて事は往々にしてあるわけです。

切り拓く快感、つの?

切り拓いているにも関わらずツマラナイ映画なんかもあったりして、そこまでお膳立てしたのに面白くならなかったのなら、向いてなかったねって事でいいんじゃないでしょうかね。

話がズレましたが、本作もまた切り拓く物語なのです。

テンポ感はもはや完成形

これはもう、マーヴェル・スタジオのノウハウといえましょう。

状況描写の必要充分要素のみで次々とキャラクタ性を構築し掘り下げる手法は、匠の味わいさえ感じます。

えげつないドライヴ感で、パパパッ!とパーツを並べてしまう感じ。

カンバーバッチ氏演じる天才外科医の主人公は、成功者としての充実した人生を、つまらない交通事故で一瞬にして失います。

両手の骨がバッキバキに折れまくり、凡ゆる手段を尽くして治療をしても、手の震えが止められない。

外科医としての地位も将来も、人間関係も恋人も、どうやっても手の届かない場所に飛んで行ってしまった絶望感が、冒頭20分くらいで連続ソロ・ホームランのように描かれます。

しかし、このドン底感、救いのない感じは、この後に待っているであろう「転生の物語」への期待を煽るんですよね。

ハリウッドに残されたファンタジー

全財産も失ってしまったかつての名外科医は、全身麻痺から完全に回復した男の存在を知ります。

そしてその男からもたらされる、謎の修行場に関する情報。

キタキタ……。ゴクリ……。

そして向かった先は、アジア風の貧しそうな街並み。

ある事をきっかけにして、遂に魔法の修行場と魔法使い「エンシェント・ワン」こと邂逅。

まただ!

ハリウッド映画の世界観において、唯一残されたファンタジーは、アジアの山奥しかないのでしょうか。

そう、バットマンもノーラン監督のシリーズではヒマラヤの山奥に「影の同盟」なんていう、謎の剣客集団が存在していました。

ハリー・ポッターの終焉によって、イギリスの街中に実は魔法で隠蔽された空間があるといったファンタジーは死に絶えたワケです。

ファンタジー・ビーストは見事に撃沈したとの悲報を耳にしましたが、まあアッチ方面のファンタジーは一旦落ち着いたんでしょうね。

で残されたのはアジアの山奥。

この作品で描かれるチベットの山奥の修行場は、ハリウッドの流行なのかもしれないなーと思いました。

バトルシーンは劇場で観て欲しい出来栄え

映像もここまで来たか、といった印象です。

言葉で表現するのが馬鹿馬鹿しくなる程、創造性に満ちています。

こういう映像って、説明する事が不可能なんですよね。

ただ一つ伝えたいのは、バトルシーンでスタンド戦があるよ!って事です。

しかもこのスタンド戦が、まーまーテキトーなんです。

そんなんでいいの?みてーな理屈で強引に進めちゃう感じ。

しかしこのテキトーさ加減は手抜きではないと思います。

じゃあ何か。

「余裕」です。

この余裕ってヤツがドクターストレンジには溢れているんですよね。

バジェットの余裕、スケジュールの余裕、色々の余裕があってソレらはあればあるほどいいんでしょうが、そういった余裕が生まれるか否かは監督の性格に掛かっているような気がします。

この余裕が、作品全体のクオリティをピシっと仕上げているように感じました。

あのマントも見事な演技を見せてくれますが、ここにも余裕のギャグが細かく散りばめられていて、いいアクセントになっています。

とにかく劇場で観て欲しいです。

最後に

観た方がイイと強くオススメしたい作品なので、結果的に内容にはあまり触れませんでした。

ほんと、劇場で観たほうがいいですよ。

でこのキャラクタがアヴェンジャーズに合流するという事実に震えてください。

こりゃーしばらくマーヴェルは死なないなー。■■

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