無料を考えるエントリ2回目です。
今回はゲームについてです。
サービスの有料無料の話題において、ゲームほど多くの人が怒り、喜び、文句を発信するサービスは他にありません。
強力なエンタメ・コンテンツとして人々の心を強く揺さぶる事が可能であるが故に、反発もまた過度な加熱を引き起こすのが、基本無料のゲームコンテンツなのです。
ではいざ。
ゲームの無料化
元々無料で配布するつもりのモノは確かに以前から多くありました。
最初期は単体の実行ファイルで、主に板(ディスク)での配布によって手に入れるものでした。
雑誌の付録なんかにオマケで付いてたりとか。
今更どうでもいい話ですが、その昔は5インチフロッピーディスクの自動販売機が存在していました。
ソフトベンダーTAKERU
当時とてつもない未来感があったのを今でもゾワゾワして思い出せます。
ソフトウェアがまだネット回線を自由に行き来する以前の話。
モノが価値決定に重要な役割を持てていた時代。
その後、ネット上でブラウザゲームとして配信されるようなもので、直接収益を目的としないコンテンツはチラホラ出現し始めます。
主には広告収入や広告そのもののバリエーションとしてのゲームなどがソレで、今や廃れてしまったShockwaveという技術が多かったですね。
後にFlashに取って代わられる事になる技術ですが、そのFlashさえも今ではhtml5にその存在価値を脅かされ消える運命の技術です。
嗚呼、栄枯盛衰。嗚呼、諸行無常。
色即是空空即是色……。
さてそんな無料ゲームとは違った形のサービスが2008年頃から登場します。
そのサービスは無料のブラウザゲームとして提供されながら、直接的に課金出来るタイプのコンテンツでした。
facebookのソーシャルゲーム
facebookは日本語版の対応が遅れた事から、なかなか日本ではソーシャルゲームの認知が進みませんでした。
しかし、世界がリーマンショックで大騒ぎしている2008年時点で既に日本語版が公開。
合わせて、ソーシャルゲームの巨人達がゆっくりと立ち上がっていました。
ちなみに2008~2009年といえば日本ではどんな状況だったかといえば、任天堂のWiiが大ヒット中、WiiFitが発売されイケイケどんどん感満載の頃です。
思えば、コンシューマゲーム機が勢いを増した幸せな時期でした。
嗚呼懐かしい……。
つまり、モノとしての「ゲーム専用ハード」を消費者は購入し、モノとしての「専用ソフトウェア」をこれもまた購入し、遊んでいた。
これらの消費行動に対して誰も文句をいわないし疑問も持たない。
確かにおかしい点はドコにもありません。
消費者であった僕も、非常に満足してWiiを購入しゼルダをプレイしてきゃっきゃ喜んでいましたとも、ええ、ええ。
しかし。
この2008~2009年時点で海の向こうではfacebookの超高速普及が成されていたんですね。
2008年最大の事件
この年最大の事件は、FacebookAPIが公開された事です。
そしてこの事をきっかけに、SNS界隈はおろか、インターネットを介するサービス全体のオープン化の波が一気に加速するんですよね。
なんのこっちゃ。
デスヨネー。掻い摘んで説明しますよ。
オープンソースの概念や運動は2000年代から緩やかに進行していましたが、facebookが切り開いてしまった地平はあまりにインパクトがありました。
つまり、「facebookが提供するソーシャルグラフに関する情報」を「自由に取り扱う事の出来るライブラリ」として、無償公開したんです(厳密にいうとちょっと違いますが概ねそんな感じで理解してください)。
これがどういう意味を持つか。
開発者は、facebookというとてつもないアクティブユーザを内包するSNS上の「ユーザ間の繋がり」を、無料で取り出す事が出来、無料でコンテンツの仕組みとして取り込む事が出来ます。
これがゲームの場合は、例えばこんな事が出来ます。
- ゲームを始めると自分の友達の内同じゲームにログインしている人を表示出来る
- 同じゲームに参加している人達にゲーム内で贈り物が出来る
- 贈り物をもらった人はお返しとして別の贈り物を贈り返す事が出来る
- 贈りものは無料アイテムを贈る事も出来るし課金アイテムを贈る事も出来る
「はあ、それが何か?」って思いましたか思いましたね。
そうです、日本でソシャゲと呼ばれているコンテンツが実装しているソーシャルグラフ関連機能そのものです。
今となっては誰でも知っている、といえますよね。
それこそ誰でも。
facebookが実に野心的且つ挑戦的だったのは、この仕組みを総て無料で公開し、誰でもその機能を使えるようにした事です。
いわゆるオープン化、ってやつ。
本当に誰でも、なんですよ。
これがどういう意味を持つか。
それまでゲーム(例えば任天堂やSONYやMicrosoftのゲーム専用ハード上で動作するソフトウェア)を開発しようとしたらどうするのかといえば、以下のような手順が必要でした。
- ゲーム専用ハードの販売元メーカとデヴェロッパ契約を取り交す
- 開発用機材をハードメーカから購入する
- 開発したソフトウェアをハードメーカの審査期間に提出し判定を受ける
- 判定をクリア出来れば発売可能となりクリア出来なければ修正後再度申請
ものすごーく端折って書くとこんな感じ。
そして、開発機材はそれなりに高いんです。
ハッキリ書くとアレなんでアレしますが、当時だと1台で十数万円~数十万円とか普通にします。
1台だけでですよ。
また開発技術は守秘契約に守られた極秘事項である内容が多く、情報交換やサポートなども、クローズな状態のコミュニティ内で実行される事が多く、時代の流れからすればなんとも旧態依然とした様相でした。
でも、ずっとそうだったので「そんなもんだ」と誰も疑わなったんです。
というか、今でもそうです。
これはこれで、おかしな事ではありませんし、技術を守る上では一つの方法として成立しています。
何が正しいという話ではありません。
facebookはそれをひっくり返した、って感じですね。
しかも無料で作れるだけではなく、課金の仕組みも自由に使えたんです。
(当時は主にPayPalを介した課金が多く、これもまた日本ではあまり普及していませんでした)
さてどういう事が起こったか。
凄まじい勢いでコンテンツが増えました。
2008年時点で10,000種以上のアプリケーションが動作していたそうです。
毎日100種以上のアプリケーションが新規公開されるような環境。
ソーシャルアプリ・ゴールドラッシュでした。
同時にfacebookのアクティブユーザも史上最速の爆速で拡大します。
2008年08月時点でユーザ数が1億人を突破してからは、半年で1億人ずつくらいのペースでユーザが増えたんですね。
そんな市場に、誰でも自由に無料でコンテンツを投下出来る、しかも課金機能ありの。
そら爆発するよね。
ちなみに今現在のfacebookユーザ数は17億人を超えていますが、既に若者のfacebook離れは深刻で、あとは緩やかな衰退が予想されています。
盛者必衰の理、ですなぁ……。
Zynga爆誕
話をゲームに戻しますよ。
そんなシーンで猛威を振るったコンテンツが、mobwarsを始祖とするMafia Wars系のhtmlベースのソーシャルゲームです。
その後数年はこの形が世界を席巻する事になり「ゲームコンテンツ無料提供」という概念を一般化させる上で、強力な追い風となりました。
この時の課金対象は、主に時間短縮のサービスでした。
そしてサブ的なポジションとして、PvPで使える武器類などのアイテムが販売されていました。
この頃はまだ課金方法や商材についての試行錯誤が為されている最中で、コレという決定的な答えが得られていない状態だったんです。
ただ、Zynga社はMafia Warsの後も、FarmVilleという大ヒットコンテンツをリリース、一躍ゲーム界の寵児としてシーンに躍り出ます。
もうこの時のZyngaの勢いは、凄まじいモノがありました。
2009年12月の時点で、1日あたりのZyngaコンテンツ総てのアクティブ・ユーザー数は6000万人。
1日ですよ。2010年に入るとZyngaの登録ユーザー数は3億2000万人を超えます。
もうなんかわからん世界に突入していますよね。
僕もこの頃は毎日せっせと、FarmVilleやCityVille、Mafia Warsをプレイし誰だか判らない外人さんと一緒に戦ったり贈り物を贈り合ったりしていました。
お金は使いませんでしたけどね。
ま例によってZyngaもピークの後、急落していきます。
2011年には10億ドルの売上を誇った同社は、2012年には4000万ドルの赤字。
そのあとは転がり落ちるように、ですね。
しかしZyngaの功績は大きく、その後訪れるネイティヴアプリゲームの骨組みを作ったんですね。
日本でもソーシャルゲームはやっとこさ火が付きます。
DeNAとGREEのオープン化
ここまでガッツリ書いたのであとはラクチンです。
何故なら、日本での動向は概ねfacebookやZyngaの模倣、とまではいいませんがそれに近いものだったからです。
2010年にモバゲータウンAPIを公開しオープン化、GREEも同年末にオープン化。
モバゲータウンでのキラータイトルは「怪盗ロワイヤル」で基本的なプレイサイクルはMafia Wars。
GREEでのキラータイトルは「ドラゴンコレクション」でコチラは日本独自のガチャシステムに於ける始祖となりました。
多くのゲームコンテンツはfacebookで展開されていたソーシャルゲームの発展形、アレンジ版を足掛かりに、ドラゴンコレクション登場以降は積極的にガチャシステムの試行錯誤が展開。
今は亡き「コンプリートガチャ」の開発など、多くの「集金機能」が生み出されたのは記憶にも新しい事ですよね。
これは総て、「基本プレイ無料」の名のもとにリリースされ莫大な売上を叩き出していきます。
この頃にはすっかりゲームはお金を払って手入れるシロモノではなくなっていました。
モノの価値から離脱。
ガチャで手に入れる「カード」と呼んでいるソレは本当はカードでもなんでもないただの画像で、運営会社の都合によってサービスが停止、終了した後は閲覧する事さえ出来ないような、移ろい易き「データ」に過ぎません。
しかし日本人はむっさお金を突っ込みました。
「アイドルマスター シンデレラガールズ」にお金を突っ込んだあなた、そうあなたのような方々です。
この通称「モバマス」はとんでもない利益をもたらしました。
このコンテンツをバンダイ・ナムコ社と共に開発・運営していたのが、今を時めくCygames社です。
いうまでもなく、「神撃のバハムート」「グランブルーファンタジー」は同社の大ヒットソーシャルゲームですね。
これらは総てMobageで運営中です。
2010年以降、多くの企業がソーシャルゲームを開発、リリース、そして運営してきました。
基本無料というビジネスモデルは紆余曲折と試行錯誤を経て、2016年頃って去年ですがw、概ねのガイドラインも整備され一旦は色々の課題や問題も出尽くした印象でしょうか。
ガチャ天井9万円とかもう意味わかんない。
無料が一番怖い
皆さん、熱心ですよね。
基本無料と謳われたコンテンツに対して、9万円どころか、数十万円もつぎ込む方もいらっしゃるそうで。
ゲームハード+ソフトウェアの代金で、どんなに頑張っても6万円弱がいいところです。
しかも一回の支払いでいつまでも遊べるのに対して、9万円払ってもまだお金を使う可能性があるコンテンツを、です。
僕はゲーム開発という現場でそれなりに色々のコンテンツ開発に関わって来ましたので、勉強の意味や調査の意味で2010年から2014年あたりまでは自腹で3万円/月くらいのお金をソーシャルゲームに使っていました。
正直、ハマったといえるコンテンツは全期間を通じて2つ程度ですが、それでも心の底から課金したいと思った事は数回です。
「素直に課金した」という額面は全部足しても2万円くらいかな。
4年で2万円なら、大した額ではない、と感じています。
一カ月当たり500円未満ですからね。
現在公開されているスマートフォン上で動作するゲームアプリの殆どは、実はソーシャルゲームではありません。
これは厳密な意味で、なんですが実は結構重要なポイントでして、そもソーシャルゲームというのはSNS上で動作する、ソーシャルグラフを活用したゲームコンテンツの名称、なんですよね。
MobageやGREE上で動作するゲームがそれです。
ソーシャルグラフの定義を論じても長くなるのでトバしますが、ソーシャルグラフの活用によって、自己顕示欲や承認欲求を鋭く刺激する事にソーシャルゲーム最大の魅力と闇が存在していたんです。
昨今のスマートフォン向けゲームアプリは、もはやソーシャルゲームでさえない、また新しい存在だなぁと思うんですよね。
ま、面倒なんで「ソシャゲ」でいいか、となってますけどもw。
無料サービスのキモは継続率
結論めいた事を書いてしまいますが、ゲームに限らず無料で提供されるサービス総ての最大唯一の関心事は継続率にあり、と思っています。
売上が最大の関心ではないとはあんたばかあ?と思いましたか思いましたね、ええ、ええ、判っています。
しかし前回のエントリで書いたように、売上の80%はアクティブユーザの1%程度のユーザによってもたらされるような世界です。
常にアクティブなユーザを新規に流入させて、出来る限り長期間にわたってサービスを「利用させ続けたい」ワケです。
そうした思惑があるサービスはどういった発展を遂げるのか。
継続したくなるような仕掛けに特化していく。
はい当たり前。
しかしゲームというサービスにおいては必ずしも自然な発展とは限らないワケですね。
面白さよりも「継続したくなる」事が最重要視されるんですから。この「継続したくなる」仕掛けや仕組みについては、現在もあらゆる手段を使って試行錯誤が繰り返されていますが、ある程度のスタンダードモデルは周知となっているんですね。
ユーザとしてみなさんが「継続したくなる」と感じるものは、総てこの発想によって作り出された仕組み、仕掛けです。たまたまそうである、なんてモノは一つもありません。
もうむっさ考えたりテストされたりして残った手段の数々。
もはやゲームは「遊ぶもの」ではなくなり、「続けるもの」になったといってもいいかもしれないなぁなんて思う日々です。
セーフティネットの機能不全
お金は自分が使いたいと思ったものに対して使うのが当たり前ですし、それ自体になんの問題もありません。
しかし、その購買動機は何故生まれたのか、本当にその商品は自分が欲してるのか、といった事を一旦思いとどまる事もあるでしょう。
モノを買う時は。
僕はココが一番の違いかなーと思うのですが、無料有料を問わずサービスを欲する時というのは、「本当にそのサービスを自分は欲してるのか」といった、購入直前のセーフティネット機能が、正常に作動しない事が多い、ような気がするんです。
そして基本無料で始まるサービスの享受は、その事をより曖昧にし無料と有料の境界線を限りなく透明に近づけていくんじゃないかなぁと思うんですよね。
形が無いという性質が、実は気が付かない内に価値の概念を溶かしているのだとしたら?
自分でゲームコンテンツを開発しながら、この件についていつも考え悩み、時には苦しみ、それでも前に進もうとする毎日です。こう書くとなんだか素晴らしいビジョンを追い求めているようなエー感じぽいですが、そんな事はありません。
開発したコンテンツがユーザの皆さんに喜ばれた上で沢山の課金をしてもらえたら、それはそれで嬉しいですし、売上を作りたいと感じてしまうのも事実。
まこれは、開発者として終わらないテーマ、葛藤なんですよね。
最後に
ゲームの基本無料化の流れと、そこに潜むかもしれない怖さを書きました。どうにもこの件は自分が関わっている業界の話でもあるが故に、話が長くなっていけませんね。反省。でも僕がフリーミアムについて、ゲームについてどれくらい考えているかと云う点については、その一部をなんとなく表現出来たような気もします。
次回エントリでは、じゃあ無料サービスってどうなったらいいのさ、つー話について僕の考えている事を書きたいなーと思います。■■
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