キングコング西野氏が犯したミスを考えてみる

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最近しょっちゅう彼の名前を目にします。

主にネット上でのニュースや記事として。

正直あまり興味はなかったのです。

というのも、僕は彼を芸人としての活動のみ認識していて、キングコングの芸風が好みではなかったのです。

ただこれは単なる好みの話で、メディアに露出すれば大した理由もなく好きだったりあまりそうではなかったり、或いは大嫌いだったりするワケです。

キングコングに対する認識

キングコングのネタは関西に住んでいる以上、デビュー以来それなりに見聞きする機会がありました。

今では民放を殆ど見なくなって永いのですが、5年程前迄は結構TVっ子(死滅語)だったんです。

好みではなかったと書きましたが、彼等の必死さは感じていたのも事実です。

ネタの作り込み具合は伝わって来ましたし、稽古もしっかり積み上げている事が感じられました。

残念ながら笑った事はなかったのですが。

そういう意味では、ちゃんと真面目にやりたい事に向き合ってるなあと思えたものです。

しかしあくまでTVで見かける芸人として遭遇した以上、笑えるか否かが最大の評価ポイントになるわけですから、好みに合わなかったら然程記憶には残りませんでした。

そんな感じですから、西野氏が絵本を発表していた事など全く知りませんでした。

具体的には5日前迄。

パッと見で表紙の色合いやタイトルから、何かフックを感じたんでしょうね、彼を扱った記事やニュースを読んでみる気になったのです。

そして、最近話題になっている絵本作品「えんとつ町のプペル」について知りました。

たまたまその絵本を認識して興味を抱いた数日後に、今度はその絵本がネット上で無料公開されたとのニュースを発見します。

あ、そうなの?こりゃラッキー、ちょっと中身見たいと思ってたんだよね、くらいの気持ちでネットをうろつきますと、何だか穏やかではない雰囲気です。

この無料公開についての批判が溢れかえっていました。

失礼ながら、「芸人西野」としてだったら批判されていても別に気にもしなかったと思います。

しかし少なからずグラフィックやエンタメコンテンツを産み出す業界に身を置くものとして「興味を惹かれた作品の製作者」としての西野氏であれば、無視できない気分になったんですね。

このエントリは、作品の内容に関するレビュー、批判、絶賛、などを書きたいものではありません。

可能な限りニュートラルな状態を維持したい意味で、本エントリを書いている現時点では作品の中身を見ていません。

書き終わったら見るつもりです。

書いてみようと思ったテーマは「西野氏のミスは果たしてなんだったのか」。

この疑問に対して色々の可能性を考えてみようと思い立ったのです。

前置きが長くなりましたが、本題に入ります。予め書いておきますが僕は西野氏を強烈に好きでも嫌いでもありません。

しかし客観的に見て妙なネジレがあるなと感じたので意見を書きたいのです。

芸人が絵本を製作する事、への批判

コレはまーまーありました。

悪意ある批判が多く読むのが辛いものも多数。

こんなの面と向かってじゃないにしても、もし自分がいわれたり書かれたらしたら立ち直れないかも、と思いましたね。

僕としては、この批判は的外れというか真意が測りかねる印象です。

北野たけしさん、松本人志さん、は映画監督として作品を何作も発表していますが、然程批判されている事もないように感じます。

まあ有名人だからゼロではないでしょうけどもね。

作品そのものが面白くない、という意味での批判はあるでしょうがソレは芸人が作った作品だからダメだという批判とは本来的に関係ないでしょう。

ピース又吉さんは小説「火花」を発表して芥川賞まで受賞、ドラマ化もされていました。

この件も批判に晒されてはいたものの、強烈な騒動の印象はありません。

凄いなあ、みたいな空気さえあったんじゃないでしょうか。

雨上がり決死隊宮迫さんは、役者、声優、ミュージシャンなど、様々な表現の場で才能を発揮されていますが、彼もまた批判の槍玉に上がる事は少ないでしょう。

芸達者やなあと感心される事はありこそすれ。

表現する能力があったとして、しかもそれが他人に評価されるのであれば、自由に発信すればいいし表現すればいいんじゃない、と思います。

お前の表現が嫌いだから表現してくれるな、という主張はあり得るでしょうがこれは解決のしようがない事です。

つまり、絵本を発表した事そのものに対する純粋な批判はほぼ無い、んじゃないでしょうかね?

誰がどういう意図で発表したのか、という点が批判の対象であって、芸人と絵本の関連が取り沙汰されている訳ではない、のかなと思いました。

やはり西野氏だから、なんでしょう。

理由は嫌われているから、なのか?

既に成功している先人の例と比較してもだから何?って事なんですけど、単なる事実とは別の理由があるのはなんとなく判りました。

この彼に関する話題、とっくに語り尽くされた感がむっさあるんでしょうねー。

僕は今回初めて彼に興味を持ったので新鮮です。

クラウドファンディング関連の批判

僕自身は、数日前迄はあまり見かけなかった批判です。

ネット上での無料公開をキッカケにして多発した、んでしょうかね。

あんまりネットリテラシーが高くないので自信ないんですけど。

西野氏は作品をネット上で無料公開する際にご自身のブログで同内容を報告するエントリを投下しておりまして、タイトルは「お金の奴隷解放宣言」。

ま正直このタイトルはどうなんだつー話はありますが、その件はあとでしっかり書きます。

このエントリや活動に対して、お金の奴隷解放宣言とか書いてる割に自分はしっかりクラウドファンディングで金集めてるやんけ的なリアクションが意外と多く見受けられました。

これ、批判する前に論点が明らかにズレている訳ですが、それは皆さん承知されていますよね?

クラウドファンディングつーものをどう理解しているかによって、批判の矛先に違和感を感じる部分もあるなぁと思ったんですね。

クラウドファンディングは資金調達の手段

まずクラウドファンディングは色々の形はあれど基本的に資金調達の一手段です。

出資者はあくまで投資、援助、応援、などの目的で資金提供出来るわけですね。

メリット・デメリットは双方にそれぞれありますが、一番の特徴はアイデアを持っていて出資を募りたい起業家やアーティストに対して、出資者がかなりダイレクトに貢献出来る点でしょうか。

あと少額でも資金提供出来る事も特徴といっていいかもしれませんね。

その仕組みそのものがまだ20年弱程度の歴史しかない為、簡単に「イカガワシイ」「怪しい」と思われがちですが、既に多数のサービスが存在しており、実績を残している案件も増えてきました(各サービスをまたいで閲覧出来るサービスなんかも既に存在しています→クラウドファンディング比較ランキングサイト | ランクラウド)。

この仕組みを手段として活用する事そのものを批判しても始まらないなと思います。

むしろチャンスを形に出来る機会が増えたのは、多くの人にとって悪くない話、といえそうです(クラウドファンディングが内包している課題や問題はあるので手放しで喜べるワケではないのですが)。

事業を起こそうとする者、自分の作品を作って世に問いたい者、それぞれ動機は違うにせよ規模が大きい何かを成さんとすると、資金調達という課題からは逃れられません。

資金調達の必要がないケースもあるでしょうが、ソレはソレで成立していますからいいとして、資金が必要な人々はどうにかしてその目標を達成する必要がある。

今回の「えんとつ町のプペル」制作において、出資者達が満足したかどうかはその作品の出来栄えによって出資者本人が決定する事であって、出資していない人々によってその妥当性が語られるのは、なんとも違和感のある話、だと思うんですよね。

もうちょっとディテールに寄ってみます。

出資者の怒りはあったのか

出資したのに無料公開されるなんて聞いてないぞ!、と憤りを感じた方もいるんでしょうかね。

もしいらっしゃるとしたらその怒りはどういった理屈なのでしょうか。

自分が出資した作品が相談もなく無料公開された事に腹が立つ?

無料公開されると知っていたら出資なんかしなかった?

そういう意味では怒りを感じた方はいらっしゃったかもしませんね。

気持ちは想像出来ます。

西野氏サイドは、web上の仕組みとして又は法務的な理屈としてはクリアな状態を事前に確認済なのかもと想像しますが、問題はソコではなくてもっと気持ち的な部分でしょうか。

つまり、後出しじゃん、て事になんともスッキリしないモヤモヤが残る。

こういった議論の時には、事実関係として落ち度があったかという検証の部分とは別に、気持ち的な部分をトバして話を進めるとどうにも違和感が残るなーと思うんですがいかがでしょうね。

仕組化されようが法務的な解釈がどうであろうが、今回のようなケースの「出資」という行為には、少なからず「出資者の気持ち」がその原動力となっていると思うワケです。

ビジネス的な意味合いでの出資でいえば、投資であり利益還元も当然ながら勘定に入れた上での決断ですから、気持ちが云々といったトコロで「はぁ?」と一蹴されるワケですけども。

西野氏の絵本製作に出資した人々は今回の無料公開をどう感じたのか。

クラウドファンディング関連の批判については、出資者が声を上げたものでない限り、僕としてはなんともいいようがないなぁと感じた次第です。

自分がもし出資したとしたらと想像してみましたが、ちゃんと商品化されたのだったら出資の目的は達成された事になるので別に無料公開されても不満は感じないかなー、と思いました。

無料公開による、他創作者達への不利益に関する批判

今一番多いのはこの批判でしょうか。

無料公開した事によって、本作品とは無関係の多くの作家達が、対価の値下げを強要されるなど正当対価が支払われなくなったり、その影響で仕事そのものがなくなったりする可能性を懸念しての批判、かな。

西野氏は絵本作家として以外の経歴や過去実績がある立場なので、仮に今回の作品を無料公開したトコロで突然死活問題が浮上するなんて事はないであろう状況である一方、元々絵本作家として活動している他創作者の方々が今回の無料公開を例に対価を減額されたりするのではないか?

またはそれに近い不利益を被るのではないか?

……、確かにあるかもなぁ。

フリーミアムの潮流については僕も2010年くらいから嫌になるほど何度も考えて来ました。

絵本製作という現場ではなく、ゲーム開発という現場で、ですけども。

2010年といえばまだスマートフォン普及爆発前夜でして、携帯電話といえばガラケーが主戦場だったのですが、mobageとgreeのプラットフォームオープン化によって、ゲームコンテンツのフリーミアム化が一瞬にして業界を席巻した年でした。

この年あたりからゲーム業界、いやコンシューマゲーム業界の苦難が始まったともいえます。

実際に多くの会社が倒産したりもしました。

さてフリーランスの方々はどうだったのか。

ゲーム業界でいえば、企業に比べれば影響は少なかった、のかなぁと想像します。

僕が知っている範囲がサンプルなので信憑性は自信ありませんが。

むしろイラスト市場なんかは以前よりも活性化しました。

ダンピング問題もあるにはありましたが、市場が急速に拡大する時はこういう事が起きるのだなぁと感じたものです。

もちろんこれは全体的な話であって、完全に仕事がなくなったフリーランスのプログラマさんや価格が下げられたイラストレータさんもいらっしゃったワケですから、個人の問題としては決して軽くありませんでした。

一定期間、技術的問題や価格問題がアッチコッチ行ったりして、今ではそれなりに落ち着いた感じかなぁと思います。

つまり3~4年は色々あった。

その間に努力をして市場の要求に自らのスキルレベルを合わせてこられた屈強なアーティスト、職人、もいらっしゃいました。それが叶わず職業を変えられた方もいらっしゃいました。

発注側にも受注側にも回った経験から思う事は色々ありまして、自分の中で背反する感覚が共存しています。

発注側の意見

  • 創れない、描けないという人は淘汰されて減ったから安心して発注出来るなあ
  • やっぱ自分の腕で喰ってた人は生き残ってるなあ

全部じゃないですけど、安かろう悪かろうの状態はパブリッシャ側もデベロッパ側もお客さん側も喜ばないワケなので、正当対価に結局帰ってきました、緩やかに。

ただ、それなりにフラ付く期間もあるワケなので、経済的体力のない弱者は、本当に苦しかったと思います。

発注側としては、創れる人、描ける人に絞って彼等がウンといいやすい額面をなんとか用意する努力をするしかなかったワケですが、彼等も死活問題直結ですから、安易に譲れない状況である事は判っていました。

何れにしても、個人にせよ企業にせよ発注先を選ぶ感覚がより先鋭的になったのは間違いありません。

創る人を選ぶ目が先鋭化する事。

これは誰にとって不利益なのかな、という話ですよね。

受注側の意見

  • その要件出すんならそれ相応の対価出してくんないとなあ
  • あの大手メーカーのコンテンツが実現出来ている機能は巨大な予算があるからだって事を判らないのかなあ 

簡単にいうんですよね、モンストでヤってるアレやってよ、みたいな事を。

いやいやモンスト級の予算出せないでしょあなたは、って何度もいいかけました。

ブーメランですけど。

今回の西野氏の無料化施策による影響で大なり小なり苦しむ人が出るのはほぼ間違いないように思います。

それが具体的な額面に反映されるか否かを問わず、心理的ストレスでもあったのなら被害は被害。

コレは正直いって、遅かれ早かれという側面はあったかもなぁとは思います。

その速度を西野氏が早めたかもしれない事について、彼が糾弾されるのは仕方がないとも思います。

実際に苦しむ人が居るとしたら、ですが。

絵本作家の人々が、この無料化施策による経済的被害を被らない事を切に願いますが、その結果が見えてくるのはしばらく先の事でしょうね。

僕は絵本製作の職人やアーティストではないのでどこまで行っても想像でしかないのですが、もし絵本製作の現場が今後、フリーミアムの潮流に抗えず他メディアのように淘汰や過当競争に晒される事を避けられないのだとしたら、国内市場においてその引き金を引いたのが絵本作家のみを生業としているワケではない西野氏だったという事実を、悔しい想いで見ておられたかもしれない。

それでも誰かが後押しする時はいずれ来たでしょうね。

僕の意見としては、どの道無料化の流れは到来するしその事で職を失う絵本作家も出て来てしまうと思います。

でもそれはあらゆるメディア、あらゆるサービスでとっくに起こっている変化で、その上で淘汰や競争して必死に新しい形を模索し自ら変化して、生き残り作戦を展開しています。

この流れに抗うにせよ利用するにせよ、その渦中に身を置く人達が「強さ」を獲得出来るといいなと思います。

声優を名指しでブログ記事タイトルにした事に対する批判

名指しされた声優さんがいらっしゃいましたね。

明坂さん、ですか。

これについては、この土俵に上がった者同士、互いに顔も名前も出している対等な立場である事と、ブログとtwitterという違いはあるもののインターネットというメディア上で展開された事(つまり当事者以外の人達が閲覧出来る状態にあまり差異がない事)を鑑みても、その内容は本人達の意図したように発信されたと思います。

ソレが相手に伝わったかどうかは別としても特に不公平でもなかったんじゃない?と思います。

また、コンテンツの無料化については少なくとも西野氏の方が、考えた時間も機会も多かったんだろうな、と想像します。

これは口喧嘩の揚げ足取りの勝敗として見るよりは、いってる内容がどれだけ現実に即しているかを考えると、そうなのかなと。

西野氏がこの件で発信している事の内フリーミアムに関する事や、昨今のエンタメ業界をとりまく無料化の波に関する事は、特に異論ありませんでした。

うん、そうね、と普通にうなづくような内容。

なのでこの話題がこんなにも盛り上がってる理由について文脈をあまり理解していないおっさんが考えると「西野氏のこれまでの言動から生じた嫌われる理由」と「明坂さんファンが傷付いた事によって生じた敵対心」が合わさって作られた、感情の発露と見えました。

ですので無料化についての正当性や経緯を検証したり議論しても、今回の批判にはあまり関係がないかなーと思います。

ソコよりはむしろ、ブログのタイトルの付け方や記事中の表現には相当の悪意を感じるので、単純にソコを批判したくはなりますけどね。

自分の名前付きであんなタイトルつけられたら、あんな記事書かれたら、むっさ傷付くよなーと。

これは何も、そんなのしょうーもないといいたいワケではありません。

傷付く、という事が一番精神的にクるし、攻撃的な行動の動機としても威力がある事を僕も知っています。

誰かを傷付けてまでも自分のいいたい事をいう。

これについて僕は、正しいとか間違っているとか意見を戦わせる事自体、不毛だと感じています。

つまり、いい合ったトコロで双方共に変化は起こらないのではないか、と思っているんですね。

僕が自分のスタンスを表明するとしたらそれ自体は明らかで、誰かを傷付けてまでも自分のいいたい事をいうのは嫌いな行為、です。

ま、勢いでヤっちゃう事はたまにあるんですけど。

無料公開といいつつ広告収入があるspotlightで公開した事に対する批判

ま、これは別に良くない?って感じています。

見る側が無料なのは変わりないワケで、西野氏というか作品の制作サイドが広告収入を得る事は別に悪でもなんでもないように思うんですよね。

その広告費を支払っているのは広告主で、実際に西野氏の絵本を無料で読みに来た人達に対して広告表示回数が増えたら希望通りなワケで。

見たり聴いたり使ったり遊んだりする側が無料でも提供側にインセンティブがある、という状況は今更語るのもアレなくらい、もはや普通ですよね。

いやソレは自分が身を置く職場環境で当たり前なだけで、まだまだ一般化していないのか。

確かにその可能性はあるかもしれません。

ただ西野氏や制作サイドが広告収入を得たとしても、閲覧者からはお金を回収しているワケではないのだからソコはほっといてあげましょうよ、と思うワケです。

では閲覧者が無料で閲覧出来る事とは別で、西野氏が「お金の奴隷解放宣言」といいながらも結局は経済的利益を得ている事に対する批判でしょうか。

お前ゆーとる事とヤっとる事が違うやんけ。

それはその通りです。

厳密には「お金の奴隷」として表現されている対象は消費者の事なのか西野氏本人の事なのか具体化されていない事がブログを読めば判ります。

が、言葉選びのセンスが極端過ぎて、そもそも全文読む事に苦痛を感じる人が多いだろうと想像します。

彼の主張は「価値を決定するものは必ずしも「お金」でなくても成立する場面がもしかしたら存在していて、そうした場面は総てではないが自分がコントロール出来る範囲でそれを実践してみた」という内容でした。

これもその事、それ自体、は特に糾弾されるべき悪行ではないように思うのですが、如何せん言葉選びが絶望的にアレな感じです。

ブログ内での言動そのものに対する批判

元々の素養なのかこれまでの人生経験から醸造されたセンスなのかはこの際無視するとして、彼は言葉の選び方が独特ですね(今更知ったので新鮮)。

誤解されやすい表現を無遠慮に使っている様には、正直面食らいました。

またこれも意図的なのかどうなのかは僕が知っている情報が少ないので判りませんが「この文章を読んだら酷く傷付く人がいるだろうな」と感じるいい回しが多いと感じました。

この感覚はビジネス的判断からすればどうでもいい話です。

感情論ですから。

ただ、絵本というメディアが持つ印象、役割、からは随分と遠い感覚でもあります。

4年もかけて1冊の絵本を作るという事は、僕のような凡愚には想像出来ない程の苦労や葛藤、喜び、苦しみ、があったと思うんですね。

その行為は本当に素晴らしいと今でも思います。

モノを産み出す表現者として尊敬出来るとも思います。

ただ、そうして産み出した作品の言葉選びを決定した人間が、同じ言葉という手段を使って表現したブログの内容が、あまりに……。

あまりに「どうだ」と書きかけて手が止まりました。

なんというか、言葉に出来ないんですよね。

読めば判る事実を列挙すれば別におかしい文脈ではないと感じますし、「今」を見て発言しているなぁとも感じるのですが、こんなにも誰かを傷付けてしまう文章にする必要があったんだろうか、という疑問?というか不安?というか。

西野氏は、フリーミアムの潮流を理解した上で、絵本作家の方々の未来を想像してもおり、こういったやり方や作戦もあるんだよ、と提示する気持ちもあろうと思うんですね。

決して単なる馬鹿では出来ない事を実践していると、今でも思うんです。

ただ。

西野氏には、「お金の奴隷解放宣言」を読んだ絵本作家として頑張っている人達が、強烈に傷付くかもしれない可能性にも、是非気が付いて欲しいと思います。

たまたま今回の事で僕は傷付けられる側ではありませんでしたが、それはたまたまです。

西野氏が今回の一連の盛り上がりを、ある種のプロモーションとして計画的に実行したのだとしたら、ソレはソレである意味目標達成したといえるでしょう。

商業活動においては成功。

でも絵本作家としては?

販売部数は伸びて出版社、制作スタッフ、そしてその界隈の人々、これまで西野氏を応援してきた人達、彼等はきっと喜んだと思います。

多くの人達に喜びを与える事は素晴らしいと思います。

だからこそ、同時に傷付く人がいたかもしれない事は目を向けて欲しいなぁと思いますね。

おっさんの癖になんとも甘ちゃんな話ですけども。

戦う相手が違ったらもっと前向きな話題だったのかも

これは本当にそうだったら良かったのになぁと思いました。

つまり、作家さんや声優さんといった「産み出す人」ではなく、プロデューサや起業家など「売る人」に対して発信したのだったら、この話題の在り様は違ったと思います。

そしてもっと前向きになった可能性があったんじゃないかなと。

日本の絵本をもっと世界に売っていこうぜとか、こんな形で隠れた才能をもっと世に押し上げていこうぜとか、こんな絵を描けるヤツをもっと儲けさせてあげてもっと描けるようにしてあげようぜとか。

実力がある、センスのある、行動力のあるクリエイタが正しく評価される世界、市場を僕は歓迎したい気分です。

彼のミスは絵本作家の気持ちを想像出来なかった事といじる相手を間違えた事、じゃないでしょうか。

最後に

なんやかんやで随分書いちゃいました。

がまだいい切ってない感があります。

でもこれ以上は同じ事を繰り返し書きそうなので、終わろうと思います。ふう。■■

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