「この世界の片隅に」を観た感想は『ノーマークでほんますんませんでしたあああああ!!!』だった

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先日、エキスポシティで観て来ました。

元々は劇場で観ようかどうしようか迷っていたんですね。

気にはなっていたし評判もイイんだけど、劇場で観るべき?と疑問を持っていたからです。

ただ、とある映画ファンの友人からオススメいただいたもので、これは観るしかないなと足を運びました。

映像ディレクタでもある彼が勧めてくれる作品は、僕の好みにとてもマッチするのでね。

信頼出来る価値観を持っている人からの薦めほど有難いものはありませんな。

そしてこの作品は、劇場で観た事に大変満足出来る出来栄えでした。

この作品は出来れば多くの人に観ていただきたいと強く思っていますので極力ネタバレは避けますが、いいたい事は遠慮せずに書きますので、悪しからず。

基本情報

『この世界の片隅に』(このせかいのかたすみに)は、こうの史代による日本の漫画である。『漫画アクション』(双葉社)にて2007年1月23日号 – 2009年1月20日号まで連載された。単行本は、同社より2008年から2009年に上・中・下巻の形式と、2011年に前編・後編の形式で発売された。

2011年8月5日に日本テレビ系でテレビドラマ化された。
2016年11月12日には、片渕須直監督による同名の劇場アニメーション映画が全国公開された。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

感想

いやー。

こんなに劇場で泣かされるとはー、不覚。

もう半分くらい過ぎた頃からずーっと涙を流し続けていた感じです。

そもそも、なんの前情報も入っていない状態だったんですね。

メインビジュアルのポスターしか知らない程度。

「( ´_ゝ`)フーン 絵は今風の感じじゃないのね。うん、嫌いじゃないよ、こういう味わい。背景の描き込みからして、キャラクタものと云うよりは社会派だったり自然に関係する話なのかな。ほっこり暖かな気持ちになれるのかもしれないな」

こんな印象で劇場に向かっていたのですから、完全にノーガード状態です。

全く警戒していませんでした。

いや警戒という表現はおかしいですね、なんというかともかく身構えていなかったんです。

例えていうなら原作版「自虐の詩」を初めて最後まで読んだ時のような衝撃に近いでしょうか。

港町の日常系喜劇

最大の驚きはこの作品が基本的に喜劇ベースだったことです。

これもまた「自虐の詩」との類似点ですが、アチラのギャグそのものはどうしようもなくクダラナイ感じでした。

そこで全くのノーガード(なんだったらちょっとナメてる状態の)スタートから、怒涛のラストに向けて物語が転がり出した時のドライヴ感がエゲツない落差を生み出し、気がつくと完全に巻き込まれている、みてーな印象でした。

それに対して「この世界の片隅に」は、最初から最後までスピード感や温度感は一定なんですよね。

基本的にずーっと2速くらいの緩やかな速度で進行しながら、時々織り込まれる笑い話にクスリとさせられる、つー感じ。

戦前から戦中の物が極端に無い時代

ありがちな作品だと、というか通常の作品ではこういった時代的背景を描く際に、厳しい食料事情や軍国主義の非情さ、なんかにフォーカスしがちです。

非国民ネタは手垢付きまくりですよね。

まそれはそれで伝えたいメッセージがソコにあるんでしょうからイイんですけども、しかし最初に書きましたようにこの作品は喜劇です。

苦しいなら苦しいなりに人々は色々な工夫をしつつ、日々の何気ない出来事に幸せを感じたり、本っ当にクダラナイ事で大笑いしながら生きています。

戦中を背景にしながら日常系の展開を見せられるとは全く想像していませんでした。

何気ない仕草のアニメーション表現

こんなにも丁寧な作品を僕は観た事がありません。

いえ、丁寧な作品はたくさんありますよ確かに。

高畑勲監督や宮崎駿監督の作品はどれも他の追随を許さない天才的な丁寧さがあると思います。

本作の丁寧さはしかし、違いました。

動作として省略されがちな、いいかえると省略しても物語の進行上全く影響がないと思われるような所作に、異常ともいえる程の動画枚数を割いていたんです。

幼い子供が自分1人の力では担ぎ上げられない荷物を背負う時の壁を使う工夫、箸を持ち直す時の自然な手の動き。

原作付きのアニメーション作品ではありますが、何を描き何を描かないかの選択は、無限に広がる可能性の中から監督が描きたいと感じた動きを選び取った結果でしょう。

ということは、この何気ない所作を描きたい、描く必要があると、監督が感じたという事になります。

実写映画と違いアニメーション作品は「描こうとしたモノ」しか描かれませんからね。

そこに必ず意図がある。

派手なシーンもしっかり用意されている作品なのに、そんなシーンよりもむしろ日常を描く事に拘っているのは何故か。

当然ながら「日常を描こうとしている」からでしょう。

この作品、徹底的な日常描写の濃密さにとにかく圧倒されます。

絵柄がこんなにも薄味であるが故にアニメーション化に向いていたともいえるでしょうし、このくらい薄味でなければ長編アニメーションとしては超疲れる作品に仕上がっていたかもしれません。

世界はそこにあると信じる

この執拗な日常描写によって、僕はすっかりその世界の存在を信じ込まされてしまったのです。

戦前戦中という時代に、僕はまだこの世にいません。

父親もまだ生まれていません。

辛うじて歴史の授業やテレビのドキュメンタリー番組なんかで、その時代のなんとなくの印象は待っていたのですが、どこか物語的でなんだか現実味を感じられずにいました。

同じ日本という国のたかだか70年程前の事にすら、現実感は薄いんです。

地続きではない感じ。

第二次大戦を扱った映像作品は、多くのケースで原爆を描いて来ました。

学校でも様々な作品を紹介しますよね、教育として。

でもやはり絵空事とあまり大差ない感情しか持たなかったのを思い出します。

すずさんの存在感

登場人物は多く、いわゆる群像劇のような側面もありつつ、主人公はハッキリしています。

すずさん、と呼ばれる女性の子供の頃から物語は始まり、彼女の人生を通して戦争の時代を生き抜く人々が描かれるわけです。

この作品を観た人々は皆同じ感覚を味わったのだと思いますが、すずさんは物語の中で確かに生きており、呉と云う広島近くの町もそこで暮らす人々も確かに生きていると、当たり前のように感じられるんですよね。

この作品が最高なのは、物語世界の存在を完全に信じ込ませてくれた事です。

現実感の薄い絵空事のような歴史的事実とは違って。

実に丁寧なアニメーションと、徹底した街並みの再現に加え、更に重要な要素がそれを実現してくれていました。

その重要な要素とは、女優「のん」が、主役のすずさんの声を演じた事です。

女優「のん」の神がかった演技

ナメてました。

いや、正確にはナメてさえいませんでした。

NHK連続テレビ小説「あまちゃん」で一気に有名になった能年玲奈さんの事は知っていましたが、「あまちゃん」を1秒も観た事がない僕にとっては、単なる時の人でしかありません、でした。

彼女が所属していた事務所と何やら揉めて?本名なのに「能年玲奈」という芸名を使えず「のん」という芸名に変えた事や、元所属事務所が各方面にプレッシャーをかけた為に殆どテレビに、というかメディアに露出出来なくなったなんて噂話などは、うっすら聞きかじった程度の知識レベルです。

ほんっますんません。

クッソ最高でしたああ!!

なんなんですか、この「のん」とかいう女優さんは。

すずさんの存在感の半分くらいは、彼女の手柄だといっていいと思います。

あんなの、演技で到達出来るの?

スなの?

「あまちゃん」を1秒も観ていない僕にはそれが判断できません。

が。

もし仮にスだったとしても、この作品にブッキングした事、そもそもそういった出会い自体を評価したい気分です。

何もないものから何かを産み出す行為に、神秘的なモノを感じる瞬間というヤツがたまーーにありますけど、のんさんの演じるすずさんは、そういう類のヤツです。

いやーすごいわー。

泣くわー。

最後に

まあとにかく最高だった、って事をいいたいのは伝わったでしょうか。

映画を観終わった僕はその足で書店に向かい、原作×3冊を即購入しました。

で読んだんですけども、原作からカットされた色々のシーンがある事を知りました。

これは英断だったんだろうなぁと想像します。

この件は別エントリで改めて書きたいなと思いますよ。

さて、ここまで読んでまだ観てないあなた、とっとと劇場に行ってください。

この作品が興行的成功をおさめない国なんて滅んでいいですから。断然劇場で観るべき作品です。

いっときますが、僕の生涯ランキング・アニメ映画部門の1位を、この作品が塗り替えたんですからね(元1位は「天空の城ラピュタ」)。■■

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