学歴コンプレックスは空想上のモノだと思っていた件

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フミコフミオさんのエントリで学歴コンプレックスについて触れられていたのを読みました。

学歴コンプレックスなんてみっともないぞ、という示唆をブーメラン的構造で暗に自虐ネタにしている(?)、むっさ面白い内容です。

でまあ、これはこれとして僕的には愕然とする出来事がありました。

それは、ブックマークコメントの内容を見ていて気が付いたのです。

学歴コンプレックスって本当に実在していたんだ……。

先ずは己の学歴

僕の学歴は至って普通、とはちょっと違うかもしれませんが、どちらかというと悪い方に寄っています。

公立の小学校、中学校を卒業後、美術の道を志して(←w)いた事もあって、とある美術教師を目当てに市立の高校に進学します。

高校生活は楽しかったので全然勉強しませんでした。

日本史などは赤点しかとらなかったものですが、先生に媚びてなんとか卒業はゲットします。

美術の道を志して(←w)いたので、美大を受ける事しか考えていませんでした。

関西では京都市立芸術大学という大学がありまして、ここに進学したかったんですね。

理由は特に覚えていません。

まあ自分の性格を考えると、色々の学校に向けて受験対策をアレコレと考えるのが面倒だったんだろうなぁと想像します。

で先生方に聴いてみたところ、京芸はセンター試験があると。

ここで一瞬ナシとなりましたが、センター試験で足切りによる3倍の競争率に絞った後、学科点数を考慮しない実技試験結果のみで合否判定される、と知り俄然やる気になったんですね。

必要最低限の受験勉強で済むかもしれない!

そう判るとそれなりに情熱を持てるものでして、選択教科の内容を吟味しました。

まず理科は唯一好きな科目であった「生物」迷わず選択。

社会はとにかく歴史は赤点祭りだったので、ワンチャン狙いの「現代社会」を選択。

残りは普通に、国語、英語、数学1、です。

生物は内容が楽しかったので勉強の意識なく楽しんで知識を増やしました。

これはラッキー。

現代社会はとにかく高校3年の1年間、新聞の1面をサラーっと目を通す事を「受験勉強」だといい切り、まったく勉強などしませんでした。

現代社会は変わった科目でして、五木の模擬試験などでも選択出来ないんですね。

模試も受けてみたりしましたが、現代社会がないものですから、適当に世界史とか選んじゃって、20点/100点とかとる始末。

もちろんE判定(再考を勧める)です。

が、もちろん全く気にしませんでした。

とにかく足切りギリギリですべり込む事しか学科試験通過の道はない、と考えていたものです(これは自分を信じているといえるのか)。

結果的には本当にギリで通過します。

「おれ全然勉強してなかったわーでも合格したわーマジラッキー」的な事ではありません。

白状しますが、英語は70点台でした。

まーまーやん?

いえいえ、200点満点ですから実質35点です。

数学1に至っては16点です。

16点!

鉛筆転がしても取れそうな点数ですよコレ。

マークシート形式だし。

当時の僕は何を考えていたのか素直に知りたくなってきます。

確定的な情報は開示されませんが、本当にギリギリで通過です。

狙った事がドンズバで成功したのは人生においてこの時だけだったかもしれません。

あとは実技試験ですが、これは当て物みたいなものだと考えていました。

得意な問題が出たらラッキーだし、本当の美術的実力なんて計り知れないものだと信じていましたから、基礎が出来てたらまあ当て物だなと。

偉そうなんだか思慮深いんだか良く判らない思考だと自分でも思います。

結局ラッキーが続いて現役合格。

お気づきかと思いますが、こんな調子で受験に挑んでいたので学歴なんて考えていませんでした。

そんな僕は京都芸大を5年通って退学します。

学費を親に返す事を条件(結構大変)にして。

つーわけで僕は高卒が最終学歴です。

学歴コンプレックスに触れる事がない人生だった

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これは自分が能天気だった事に加えて、周りでもそういう話を聞く事が全くありませんでした。

ゲーム開発という業界が持っている性質なのかもしれませんね(あ、最初の頃は音楽で喰っていくぞ、とドリーミンな脳だったりもしました)。

ゲーム業界には東大出身の人もいますが問題は学歴ではなく、「面白い事を考えているか否か」が最重要な世界です。

コンプレックスを感じる事があるとしても、それは学歴ではない事が多いような気がしますね。

そもそも学歴コンプレックスを感じるメカニズムってなんでしょう。

コンプレックスって嫉妬とか劣等感、ですよね。

という事は他者との比較が根底にあるって事なのかなあ。

そこに自信の無さがコーティングされてイジケ・モードに突入!でしょうか。

しかし、今でもあるんですね。

いやもしかしたら僕の身の回りでも存在していたのに、僕がただ気が付いていなかっただけかもしれません。

他人の学歴を気にした事もないので、それくらい鈍感だった可能性も否定出来ないワケです。

いやそもコンプレックスを持っているのか。

コンプレックスの本質を判っているのか。

たぶん判っていません。

他人との比較による自分の劣った部分についてどう感じているかといえば、そんな自分も好き、だからです!

自己愛が強いんでしょうね。

自分が描いたり書いたり作ったりしたものも大好きです。

好きでヤった事ばかりなので好きで当たり前かなあ。

もちろん、もっと上手になりたいとは感じますが、巧く出来なかったものを嫌いかというと、そこも愛おしいねと思えてしまうんですよね。

これはもしかしたら自己防衛本能の結果かもしれません。

いずれにせよ、自己愛の欠落がコンプレックスを生み出すような気がしてきました。

それって実に繊細で控えめで真面目な性質ともいえそうです。

自分の性質を裏返していけばその人間像がなんとなく想像出来るんですよね。

僕は鈍感で楽天的なおっさんです。

あ、そうはいっても鬱病を患った事はあるんだからね!(←必死)

空想上の存在

実在のものと認識していなかった僕なので、学歴コンプレックスがみっともないとか、或いは立派だから持ち続けなさいとか、そういう情動が起きてこないわけです。

物語の中のみのモノだと思っていたものがある日突然目の前にリアルとして登場した状態を想像してみてください。

ただコンプレックスによる成長もあれば自虐もあるのでしょうから、結局はコンプレックスをどう扱うか、どう付き合っていくかという性格的影響によって表出の程度が変わるのでしょうね。

だから無理して克服する必要もないし、敢えて手に入れる必要もないです、と思いました。

それではお聴きください。

コンプレックスで恋を止めないで。■■

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