成功と失敗の狭間を想う~仕事編~

成功と失敗の狭間を想う~仕事編~

ネット界隈をウロツイテいるとよく感じるのは、ブログっつーメディアは本当に若い人々のフィールドだなあ、という事です。

これは何も、僕のようなおっさん風情はブログをあまり書いていないという意味ではなく、メディアの発信者も受信者も共にメインは若者同士なのだという意味です。

その言論空間における共通言語や、共有されている世界観とか時代観?なんかが、確実に「今」を切り取っているよなあ、なんて感じるのです。

あ。

違いますよ、老兵が若人を羨むエントリを書こうとしているんじゃないですからね。

若者達の考えている事等は、ブログなんていう手段でもない限り、我々世代が知る由もない情報です。

まこれは逆も同じ事がいえそうですが、おっさんの考えている事は概ね面白くないのに対して、若者の考えている事は結構面白いケースがあるんですよね。

おっさん面白くない率と若者面白い率が大体同値って感じ。

勿論総ての人がそうではないんですよ。

爆裂オモロイおっさんもいらっしゃいます。

しかしもはや、概要としてはそう認識して差し支え無さそうです。

そんな面白人間達がウヨウヨと徘徊しているブログ界隈、ネット界隈において、かなり高頻度で登場する話題つーのが、幾つかありますよね。

そんな話題について、おっさんが感じた事を書いてみるエントリを、幾つか書いてみようと思いますよ。

今回は仕事の話

チョイ前のヒトデさんのエントリもそうでしたね。

春という季節柄、新卒の方々が新社会人としての意気込みなんかを語っておられるエントリもよく見かけます。

フレッシュが世間に溢れている。

さて個人的な話題で恐縮ですが、僕は大学現役合格後、5年通って中途退学しました。

理由は大学に在籍し続ける意味が見いだせなくなってしまった事と、音楽に使える時間を増やす為でした。

ま、退学した時の気持ちに後悔はありません。

その時は、それが一番だと疑っていなかったものですから。

「若さ」はいつの時代も「馬鹿さ」の別名です。

で大学をやめた以上、実家住まいの僕は家にお金を入れなくてはならなくなるワケですが、大学在籍時から続けていたゲーム開発のアルバイトをメインの収入源として働くようになります。

ま「最初の仕事」でしょうか。

この時の意識は「完全に腰掛け」「仮の暇」という感じでした。

本命は「音楽で身を立てよう」と思っているワケですからね。

音楽で食べていけるようになるまで続けられたら、それで良かった。

なんとも偉そうな話です。

とはいえ。

詰まらない行為を毎日続けるのも正直イヤだった、というかする理由が見つからなかったものですから、デジタルコンテンツのデザインという、行為そものもが魅力的だと感じた仕事を選んだワケです。

多分、効率を優先したらもっと稼げるバイトや派遣業務なんかもあったでしょうね。

調べさえしませんでしたが。

ここまででお気づきの通り、僕は就職活動という行為に興味を持っていませんでした。

興味がないので見る事も聴く事もありません。

特に不安もなかったんですよね。

何せ「音楽で身を立てよう」と考えていましたから。

就職活動について

大学の同期だった卒業生達は、ちゃんと就職活動をして大手企業に入社する人もいれば、就職はせずに非常勤講師などで糧を得ながら作家活動を続ける人もいました。

つまり、「就職しない」という選択肢は、「就職する」という選択肢と同列で「選択要素の一部」として等価だったんですね。

芸術系の大学だったので、まあそんな感じでした。

常識や通例、慣習なんてのは、時と場合がほんの少し変わるだけで、まるで様変わりする事も珍しくありません。

常識じゃん、と感じている事は、自分が知り得た程度の情報と経験から構築された、虚ろなもの、かもしれませんなあ。

猿が如く創る

あ、僕の事ね。

与えられる仕事は、ドット絵制作(キャラクタ、背景、UI、エフェクト)、ポリゴンモデル制作(キャラクタ、背景、エフェクト)、イラスト作画(キャラクタ、企画書挿絵)、などです。

バイトとはいえ成果物が評価されると機会もまた増えるような環境だったので、僕は何かを覚えてしまった猿の如く働きまくりました。

で、どうなるか。

大した才能など無かったと今でも思います。

しかし繰り返し楽しんでデータを作っていると、まーまー上達したんですね。

有難い事にそれなりに評価して下さる社員さんも現れるようになり、業務範囲は緩やかに拡大しました。

強要されなかったにも関わらず、自らブラックな働き方をしていました。

ただ楽しかったのと、経験させてくれたし成長させて貰えたので、大満足でした。

音楽は失敗した

で音楽活動はというと、それなりにライブと作曲を繰り返して、やや評価もされるようになった来たかなー的なタイミングで、メンバー間の女性問題から解散というあっけない幕切れを迎えます。

この事はなかなかにショッキングでした。

「えっ?このチャレンジってこんな事で終わるの?」

僕自身の勝手な思い込みではありましたが「成功するまで絶対に続けたい」と思っていた事が、メンバーとはいえ他人の手によって突然終了させられたワケです。

それから、暫くは他バンドのレコーディングを手伝ったりライブのサポートメンバーをしたりTVに出たりしていたのですが、遂に音楽はやめる事にしました。

それなりに不貞腐れておりましたから。

「自分1人では成功に到達出来ない何か」を続ける事に虚無感を感じてしまったんですね。

そもそも何を持って成功と呼ぶのかも決めていなかった事にも気が付いてしまい、今まで自分は何をやりたかったんだ、なんて愕然としたわけです。

仕事の成功と失敗

音楽を辞めてからも仕事は続けていました。ま楽しい行為ではあったので、気分を紛らわせるのにも丁度良かったのですよね。

数年お世話になって、そろそろ学ぶ事は無くなったなーと感じたので、大した計画もなくフリーランスになる事にしました。

それなりに仕事が出来るようになったぽいし、なんとかなるかなー的な。

ゲームの仕事だけだと仕事の隙間が出来るようになったのでwebもこの際勉強すっか、つー事でそんな仕事も受けつつフリーランス数年、しばらくして起業して、12年経って畳んで、生まれて初めての正社員、イマココ、です。

今になって感じるのは、仕事に於ける成功とはなんなのかと。

今でもまだ勤め人として労働している身ですから、仕事については総括してしまうのもアレなんですが、ついつい考えがち。

飽きないメリットがデカい

20数年間に渡って同じ業界に属しながら仕事の内容自体は少しづつ変化して来たので、幸いな事にまだ飽きていません。

むしろ、仕事をして来た中で今が一番面白いですね。

それなりに人の繋がりは構築させて頂いたので、刺激を与えて下さる人々に囲まれた環境といえますし、会社という枠組みを超えて友人と呼びたいような素晴らしい人にも何人か出会えました。

つまり、続けて来たから出来る事が増えた。

無計画でしたが、やりたく無い事をしなかったので、いつも熱中出来たのはとてもラッキーだったんだなーと思います。

仕事選びの意味

てことはですね。

仕事選びって何なのかと考えてみると、「飽きない事を探す事」といえるのかなーなんて思いました。

自分が得意だと感じている事が「飽きない事」とも限りません。

どんなに吟味して考え計画したって、飽きちゃうかもしれません。

飽きずに続けられること「見つけた!と思っても外的要因でその道が閉ざされる事になるかもしれません。

でもですよ。

「好きで好きでしょうがない!」事を探すより「飽きずに続けられそうな事を探す」方が、より達成出来そうな気がしませんかね。

どうでしょう。

何かを続けるってのは価値が計り知れません。

10年続けた結果出来るようになった事って、ソレを見た誰かが真似出来ませんからね。

表面的に模倣は出来たとしても。

たった1人だけは見つけて欲しい人

また厄介なのは、このテの価値や威力って、なかなか自覚出来ないし体感が薄いから不安になり易いんですよね。

そんな時はどうすんの?

評価してくれる仲間を見つけるんすよね。

イイとかワルイとかいってくれる誰かを捕まえるとイイです。

友達でもいいし、恋人でも親でも。

ぶっちゃけた話や、不安でカッコ悪い自分を見せられる誰かを、飽きずに続ける何かの実行過程で、どうにかして捕まえる。

これの成功が、仕事の成功に繋がるんじゃないかなー、なんて思うのですよ、ええ。

最後に

念の為にお伝えしておきます。

僕は物凄く飽きっぽいし、興味がない事には全然身が入りません。

どっちかってーと駄目人間だと思います。

就活して企業に入社出来る人、学生時代から人生設計を鑑みて行動出来る人、皆さんを尊敬します。

本気でそう思います。

絶対真似出来ません、能力的に。

それでも、自分の幸せは、何となく判っているので、それで充分かなあと思います。

皆さん、出来れば無理のない人生を歩めるとイイですね。

好きな事は出来れば続けてくださいね。■■