映画「ドリーム・シナリオ」を観た感想は、「人は認められたい生き物なんだな」だった

映画「ドリーム・シナリオ」を観た感想は、「人は認められたい生き物なんだな」だった

A24制作の新作映画「ドリーム・シナリオ」を劇場で観てきた。1本以上/週程度のペースで劇場に出向くのだが、当たりの週もあればハズレの週もある。今週は当たりだった。

本作はニコラス・ケイジ主演という点と、制作にかのアリ・アスター監督が名を連ねているという情報だけで、鑑賞すると決めた作品だ。見ると決めた映画作品は、出来るだけトレーラーを観ないというのも自分ルールとして定着した。あとから公式サイトをみたら、序盤のストーリーを「あらすじ」として公開しており、観る前に見なくて良かったと心底思った。


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さて物語は、ニコラス・ケイジ演じる動物の進化に関する研究を続ける大学教授ポールが、全く理由も分からないまま何千人もの人々の夢に登場するという事件から始まる。A24らしいスットンキョウな掴みで良いよね。

冴えない中年が次第に「時の人」として持て囃され徐々に増長していく展開となるわけだが、コレは観ていて辛かった。というのも、こういう展開は明らかに後で手痛い反動、しっぺ返しを食らうフラグであるからだ。勿論本作も、そういう展開が待っていた。

夢に登場する彼は最初夢を見ている人々を傍観するだけで何も行動を起こさないという存在だった。しかしとある出来事を境にして、夢の中の彼は途轍もなく恐ろしい行動に出始める。夢の中、ではあるが、ハンマーで頭を殴りつけたり、足の指を切る、拷問、レイプなど、ありとあらゆる残虐行為に及んでいくのである。

そうした夢を何日も繰り返し見てしまう人々は、次第にポールを忌み嫌い、憎むようになり、町中の人々から迫害を受けるようになる。さてポールはどうなっていってしまうのか、という話だ。この程度の情報は公式サイトやトレーラーで公開済のものなのでどうか許されたい。


この物語の面白い点は、一件明後日の方向に向かっていく不思議話に見えて実は、随所に配置された演出や設定で、普遍的なメッセージ性を提示している事だと思う。

ポールは進化に関する大学の講義の中で、シマウマがもつシマの有用性について語っている。サバンナの原野でシロクロの縞模様は目立ってしまうので天敵から襲われやすいと、一見思われる。しかし群れとして行動するシマウマにとっては、シマを持つ馬の集団として行動する際は「個」としての存在がカモフラージュされる為、むしろ身を守り易いのだという内容だった。

この内容は物語序盤のシーンだが、明らかに本作のメッセージであり、ポールの未来を暗喩している。ポールは元々気が弱く控えめな人間で、所謂「草食系」の人生を送ってきたに違いない。物語序盤のセリフによって、そうした彼のキャラクタが語られるのである。

そうした控えめな人間がある時本人の預かり知らない道理によって存在感を発揮してしまったとしたら。

この映画はそういうifを我々に見せてくれると同時に、本当に望む事というのは何であるのかという問いや、失ってしまったかけがえのないモノは二度と手に入らないという苦味も与えてくれる。


これはある種残酷なメッセージでもあると感じた。つまり、シマウマはシマウマらしく生きなさいと。夢も希望もない話だが、コレはなんともリアルだ。分不相応の振舞や欲求を満たそうとすると、多くの場合で人は歪んでしまう。格好の悪い大失敗を晒してしまったり、大切な人間関係を壊してしまったり。

この物語は、増長の果てにたった一度妻を裏切ってしまったポールが、人生を台無しにしてしまうという終わりを迎える。なんとも悲惨なのだけど、ポールは万人の比喩でもあると思った。シマウマはシマウマなりに輝く事は出来る、といった楽観的な救いは提示してくれないこの作品は、善悪の土台を示す宗教的な色合いもあるのかもしれない。

しかし、人は弱い生き物だ。今より他人に認められたいと思ってしまう事を責める気にはなれなかった。承認欲求の充足はさほどの悪行ではないように思う。

とはいえ、さらりと観る分には楽しい映画作品なので、設定に興味を惹かれたあなたと、ニコラス・ケイジの名演技を観たいあなたにはオススメだ。■■