想像力の使い方

想像力という単語は何かとクリエイティヴな響きで捉えられがちで、創造性溢れる行為のような意味で使われる事が多い。

 もちろんそういった思考行為も想像力と呼ぶし特に違和感はないのだけど、その事だけを指し示す単語として使うには範囲が狭すぎるように思う。

 頭の中で、ゼロから何かを生み出す事だけが想像力ではないんじゃないか。

 これまでの経験や知識の中から、今必要とされる情報を適切に取り出して来てシチュエーションに合わせて再構成する、のも立派に想像力を働かせている状態だと思うわけ(言葉で書くとやはり回りくどい表現になってしまっている)。

 つまりは日常生活の中でも日々想像しているし、それは殆どの場合他人とのコミュニケーションという場面において必要となる思考のはず。

 「他人の考えている事」「考えるであろう事」「考えそうな事」のような、理屈でいえば答えが無い部分について、想像力を働かせてはコミュニケーションの成立を図っているわけだ。

 誰かの思考や感情を無視したまま自分勝手にコミュニケーションを成立させる事が出来ないのは誰でも理解出来るはずなのに、いざそういった場面になると無自覚に他人の思考を忘れたまま、対話を成立させようとして撃沈する場面を見かける、いや自分とて撃沈してきた何度も何度もああ思い出したくもないあんな記憶やこんな記憶。

 傍から見れば判り易い過失。しかし当事者はなかなか気が付かないものだ、という事を経験上知っている。

 本来一番想像力を使うべき事というのは、他人との関わりの場面だろうね。独り善がりが過ぎれば、誰にも相手をしてもらえなくなる。

 これは別に、誰かの考えや思惑に自分をすり寄らせて滅私すべしといっているわけでは、当然ない。自分の考えや思惑を主張して出来れば突き通す為にはむしろ、相手に対する想像力を大いに発揮しなければならないという意味だ。

 例えば仕事の場面では、折衝や交渉において商談相手のメリットとデメリットを想像し自社利益との落とし所を如何に有利に進める事が出来るか。

 例えば恋愛の場面では、自分の気持ちを伝える為に恋人の好き嫌いを想像して喜ばれる贈り物を探し出せるか。

 想像すべきは他人の脳味噌だ。

 自分の脳味噌の中身など想像して当たり前、殊更言葉にする事も馬鹿馬鹿しい話で、日々の妄想など勝手にヤっておけば良いと思う。それはそれで必要、でも当たり前。

 何かおかしい、何かうまく往かない、と感じている時は大抵、他人に対する想像力が欠如しているんじゃないかな。その事に気が付けたら、少なくとも状況を打開するきかっけは見えてくるはず、と。■■

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