「気を付ける」の罠

よく聞く言葉だと思う。

 出かける子供に対して親が「気を付けていってらっしゃい」とか、段差のある道を案内する時「足元お気を付けくださいませ」とか。

 注意喚起の意味での「気を付ける」は、無意識に無防備になるかもしれないシチュエーションに対する警鐘。

 つまり気遣いの表れだよね。

 それはまあ、いい。

 僕が絶対に信じないと固く心に誓っているのは、何かを失敗した後同じ失敗を繰り返さない為に実行する対策としての「気を付ける」。

 「以後気を付けます」

 「今後は気を付けるようにいたします」

 「二度と繰り返さぬよう気を付けます」

 全部絶対嘘。

 これは「嘘をつこうとしている」といいたいんじゃない。

 その時は、同じ失敗を二度と繰り返したくないと感じている可能性は否定しない。

 でもさ。

 もしも本当に二度目の失敗を繰り返したくないと思っているのだとしたら、その対策として選んだのが「気を付ける」なんていう曖昧な手段であるはずがない、と思うんだ。

 そんなコト言っちゃう人は「同じ失敗を二度と繰り返したくないとは本気で思っていない」って判定してイイと思っている。

 いやそんなコトはない、本気で失敗したくないと思っているぞ、って反論するだろうか?

 でもその程度の本気なら、思っていないのと同じだと思う。

 同じ失敗を二度繰り返さない為に必要なコトは「気を付ける」のではなくて、具体的にコレまでとは違う、「気を付けなくてもイイ手段」を探すコトじゃないかな。

 未来の自分は今の自分と地続きの、単なる延長線上の存在。

 たやすく「気を付ける」だけで失敗を繰り返さないのだとしたら、そもそもそんな失敗は発生していないんじゃないか?って思う。

 今までと明らかに違う対策を講じたところで必ず状況が良くなるとは限らない。

 もしかしたら悪化する事さえあるかもしれない。

 でも、考えて改善に向けて努力をしたその意思は、信じるコトが出来る。

 色々の条件が重なって失敗が繰り返されたとしても、信じようと思える。

 「明らかに今までとは違う対策」を考えようとしない人たちを僕は信用しない。■■

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