ホラー映画が好きなんです。
スリラー、サスペンス、といった「恐怖」を取り扱った エンタテインメント作品の魅力が大好物です。
抑も「恐怖」とは防衛本能や危機回避の目的で発現する情動であろうハズなのに、それをも娯楽として解釈してしまう人間の貪欲さに惹かれているのかも知れません。
いつものようにネタバレを厭わず好き勝手書きますので、鑑賞予定がある方は自己責任でお願いしますね。
基本情報
『ライト/オフ』(原題:Lights Out)は、2016年制作のアメリカ合衆国のホラー映画。スウェーデンの映像作家デヴィッド・F・サンドバーグが2013年にネットで発表し話題となった短編映画Lights Outを、『死霊館』のジェームズ・ワン製作、サンドバーグ自身が監督して長編映画化した作品。サンドバーグの長編映画監督デビュー作品でもある。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
感想
トレーラーを観ましたか?
むっさ面白そうでしょ。
面白そうですよね。
なんとなく想像出来るのは、灯を点けている時には見えず、薄暗い場所でだけ影として現れる「何か」が襲って来る、みてーなイメージ。
掴みはオッケィィィィ。
ビジュアルのインパクトがなかなか尖っていて、思わず腰が浮き上がりました。
日本での公開は2016年でして、これは是非とも劇場で観ようと心に決めていたのにいつの間にか公開終了。
暫くはすっかり忘れていたのですが、年末に思い出して、TSUTAYAで借りてきました。
で喜び勇んで観たんですよ。
いいか君達。
この映画はトレーラーだけでいいからね!(先にいっちゃった!)
物語が進む程に面白くなくなっていく残念な作品
本当に残念というか勿体無い映画でした。
只々ツマンナイ映画なら残念だとも思わないワケですが、掴みは本当にイイ!んです。
序盤の殺害シーンまでの流れは全然アリです。
謎の影は一体何なのか?という疑問を持っている内は楽しめます。
しかしまあ理由や由来や過去なんかが次々と見事に明かされて行きます。
謎は総て解けた!ですわ。
更には、効果的な撃退法まで、偶然にも発見してしまうのです。
対処法明確過ぎ。
不思議の理屈を明かさないで欲しかった
いやー。
これは根本的な問題というか「違い」の話だと思うんですね。
合理性に対する意識の差とでもいいましょうか。
一見不可解な出来事にはちゃんと理屈に従った存在理由があり、回避する為の具体的な攻略法が存在しているのが「正しい」という感覚。
これは欧米人的な発想でしょう。
「ゾンビには攻略法が存在している」のが判りやすい例でしょうか。
脅威は打開可能。
この辺りは一周回って「ショーン・オブ・ザ・デッド」みたいな高品質ギャグ映画まで存在してますね。
まあ。
なんつーか。
コレはコレで良いんです。
コレらについては、良いんです。
「ショーン〜」は本当にイイ作品でしたし、僕はそもロメロ信者death。
でも、いつもそうだとは限らないものでして、本作ではダメでした。
正体を明かして欲しくなかった
正体を知りたい、という欲求は感じているワケなので、望んでいながらもしかし達成して欲しくはないっつー、アンビバレントな楽しみ方なんですよね。
日本映画から例に出すなら、「リング」の貞子と、「呪怨」の伽倻子でしょうか。
2016年にはまさかのクロスオーバーで対決した彼女(?)達ですが、そのキャラクタ性は真逆なのです。
つまり、攻略法が明らかか否か。
呪われるプロセスと死の回避方法が明確に存在している貞子に対して、伽倻子の場合はあの家に薄っすら関わっただけでも呪われたりして、プロセスが判然としませんし一度呪われたが最後、基本的に回避不可能です。
問答無用で何処にでも出てきますからね。
超シツコイしズルい。
そこが最高に薄気味悪い。
僕がライト/オフに期待していたのは、伽倻子パターンだったんです。
絶対にその方が恐かったと思うんですよねえ。
貞子は、というかリングは、物語の構成があまりに絶妙で呪いのプロセスが謎である事自体が不気味でした。
仕組みが判った時のヤラレタ感も超気持ち良かったので、アレはアレで大好きです。
まあ、つまり作品全体を通してその方向性が恐いか否かって事ですな。
残念ながらオチが弱い
ブラックライトを使えば、ダイアナ(影女)をかなりハッキリ視認出来た上に、その状態で通常の光を当てると体が燃えるという致命的な攻略法がバレてなお、ダイアナは繰り返し襲ってきます。
こうなってくるとダイアナ的には、もはや相手のミス待ちみたいな戦いですよね?w
その瞬間に全く怖くない存在に成り下がってしまいました。
ほんと残念。
で結局、ダイアナは主人公女子の母親が創り出した妄想が元凶だっつー事で、娘を守る為に母親が拳銃自殺をしてエンド……。
別に駄作だとは思いません。
ただむっさ弱いなと思います。
恐怖映画の結末としては、っつー意味ですけどね。
恐怖の物語の結末が、解決してあー良かった系の展開だった場合に、ある種のカタルシスは得られるでしょう。
しかししっかり解決して謎が消失してしまったワケなので、何も残らない。
この瞬間に恐怖映画は「過去に恐怖映画だった作品」に成り下がります。
僕はコレが楽しくないしもったいないと感じてしまうんですよね。
恐怖というエンタメ
恐怖を取り扱ったエンタメの醍醐味は、そのエンタメコンテンツから離れた後でも、思い出すだけで再度怖がれる事だと思っています。
日常的な生活に起こり得る何気ないシチュエーションに恐怖を織り交ぜる事で、コンテンツを観ている時には特に気にしなかった場面が、不意に思い出された時にまるで時限装置のように復活し立ち上がってくる時に「嗚呼!あの作品にしてやられた!と感じます。
そして心の中で拍手喝采。
コレが全くなかった。
まあ海外作品である時点でかなり不利な状況といえますがね。
全部解決して消えて無くなる恐怖映画、でした。
最後に
このエントリを書いていて、お気に入りの「終わり方が後味悪い恐怖映画」 をまとめて「たくもなりました。
ありがちかな……。
ま、気が向いたら書こうとおもいます。■■
コメント